昭和40年代まで続いてたらしい。生涯、童貞処女を強制され来世はヤリチ○、ヤリマ○になるのも仕方ないのは前世の記憶が残ってるからだろう。
[スレ作成日時]2021-06-26 15:18:56
注文住宅のオンライン相談
長野県の【おじろくおばさ】は長男以外は結婚厳禁!
1:
匿名さん
[2021-06-26 15:22:25]
|
2:
名無しさん
[2021-06-28 19:31:03]
質問「おじろく」は長男が死んだら昇格したんですか?
おじろく 家長となる長男より下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。 ?長男以外の子供に適用される ?世間との交流が許されていない ?恋をすることもなく、家のために一生を捧げる ?言いつけられたことをこなし、感情は薄れ、ロボットのように仕える ?家庭内では家主の妻子よりも下の地位 ?戸籍には「厄介」とだけ記された ?一生童貞・処女のものが多い ?他人が話しかけても挨拶を十分にすることができず、夢や趣味はない 武家の次男のように補欠としてあつかわれたんですか? もしそうだとしたらいきなり家長の座について支障はなかったのでしょうか、詳しい人教えてください 2016/1/3jfgjgcgbhigyc 回答 子供がないまま長男が死んだ場合には、やはり昇格(?)したのではないかと思います。 おそらく「おじろく」「おばさ」は、長年脳の一部を使わないせいで、いわゆる「廃用性認知症」(「廃用性痴呆」とも)に近い状態になっていたのでしょう。特に自発性・社会性などをつかさどる前頭前野の機能がかなり低下していたように思えます。 ただ廃用性の認知症は、病気や怪我で脳の機能が失われているわけではないですから、リハビリ次第で回復しやすいとされています。いったん衰えた筋力も、体を動かしていれば元に戻るのと同じです。おじろくも、跡取りとして人間らしい扱いを受けるようになれば、本来の人格をとり戻せた可能性は、かなり高いのではないでしょうか。 もちろんこれは素人の推測ですから、正確なところは専門書を読むか、専門家に聞いてみなければわかりません。ネット上では下記のブログ主が、おじろく・おばさについてくわしいようです。メールやコメント欄で、質問されてみてはいかがでしょう。 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/about また、おじろく・おばさに関する論文としては、以下のようなものが出てきました。 近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」 (『精神医学』6巻6号=1964年6月号) 青山満「『おじろく』のこと」 (『伊那』1960年7月号) 水野都沚生「県南に残る民俗(2)残酷物語おじサ」 (『〃』1960年10月号) 〃「封建制度の遺物おじろく・おばさ(1)(2)」 (『〃』1968年1月号/2月号) 〃「置き忘られた制度の遺物『おじろく・おばサ』の調査と研究」 (『国学院雑誌』63巻1号=1962年1月号) 風野春樹「おじろく、おばさ」 (『看護学雑誌』67巻7号=2003年7月号) |
3:
匿名さん
[2021-07-02 08:19:31]
今の青森県八戸市が、そうみたい。
|
4:
匿名さん
[2021-07-02 08:36:26]
本人の意思を無視して強制する閉鎖的な
日本版北朝鮮。 |
5:
匿名
[2021-08-16 10:02:37]
全部デタラメ
|
6:
匿名さん
[2024-02-09 05:26:08]
私はその土地の対岸が母の実家で開郷した者の一つの家なので、
その地が開拓され伝記も所有してました。 天龍村大字神原や天龍村の他の場所も、 武家が開郷していった場所なので 誰がいつ開郷したかを伝記に書かれてるので、 人が移り住んだギリギリの年代からの話になりますね。 16~17世紀頃からとなると、開郷した直後の時代で人がまだほぼいない時になりますよ。 |
スムログ 最新情報
スムラボ 最新情報
日本の長野県下伊那郡にあった村
神原村(かみはらむら)は長野県下伊那郡にあった村。現在の天龍村大字神原にあたる。
かみはらむら
神原村
廃止日
1956年9月30日
廃止理由
新設合併
神原村、平岡村 → 天龍村
現在の自治体
天龍村
廃止時点のデータ
国
日本の旗 日本
地方
中部地方、甲信越地方、信越地方
都道府県
長野県
郡
下伊那郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
面積
58.71km2.
総人口
1,946人
(国勢調査、1955年)
隣接自治体
長野県
下伊那郡平岡村、大下条村、和合村、旦開村
静岡県
磐田郡水窪町
愛知県
北設楽郡富山村、豊根村
神原村役場
所在地
長野県下伊那郡神原村
おじろく・おばさ 編集
旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な家族制度があった。16?17世紀頃には存在したという。
この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。
彼らは結婚・交際をせず、村祭りなどの行事にも参加しなかった。声をかければ会釈くらいはするが、基本的に無気力で人嫌い。家庭内での地位は下男・下女扱いであったが、幼少期から特別虐待されるわけでもなく、むしろ労働力として重宝がられていた。
彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている[1]。