マンション管理をしていく中で、困ったこと、聞きたいこと等をここで質問してみませんか。
マンション管理士、建築士、弁護士、宅建士、管理会社勤務の皆さん、理事の皆さん、
住民の皆さん等が質問に答えてくれると思います。
[スレ作成日時]2018-08-08 20:19:27
「マンション管理士等に質問しよう! Part3」
15949:
15536です。
[2022-12-10 17:42:14]
|
15950:
15536です。
[2022-12-10 17:51:57]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 3 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ========================== (k)「総会は理事会案に対する決議の場である」という 命題には組合員による総会招集権が無視されている。 ========================== この(k)で取り上げる命題は、【その1】でも挙げておいた「総会前主義」を特徴づける基本命題のようなものの一つですが、上の(j)の②で説明した「組合員の総会招集権」により、すでに覆されております。「総会は、必ずしも理事会案のみに対する決議の場ではない」からです。 事前に通知された目的(議題)に関する決議ということであり、理事会が出した案とは限らず組合員の有志が出した案となる可能性があるわけです。(註3) 註3:管理会社の案であっても、事前に理事会を通しますので、慣行として「理事会案」とみなされます。(自分的には、反対ですけどね、管理会社案はいくら理事会が承認したとしてもあくまで管理会社案であり、理事会がそれを「叩き台」にして主体的に練った場合のみ理事会案と呼べると思いますけどね。) では、「理事会案」ではなくとも、必ず「決議のみ」をしなくてはならないのでしょうか? 次に、これまでずっと「総会前主義」が当たり前のように言っていた、総会では「決議以外するな」に近いことへの異議申し立てをしてみたいと思います。 ・・・これ。私が書いてることっていうのは、何をしてることになるのかと言うと。 ちょっと大事だから言いますが。 自分ごときがわざわざ書かずとも、法や規約、指針や基本方針を読めば、「当たり前のこと」だと思うんですけどね? すでに第1章の(1)と(2)で指摘した通り、「集会主義」の一言で足りてしまう、そう言ってしまえばそうであることでしかないのです。 ですが、現状は、【その1】で述べたように、「マンション管理業界の中に」「総会前主義(総会前合意形成主義)」が台頭してきていて、こちらのスレッドもそうだし、多くのネットの情報サイトもそうなっている様子が窺えるわけですよ。 すなわち、「法や規約、指針や基本方針」に対する「異なるアプローチ」が出現している(ニュートラルな表現で言えば)ということだからこそ、論点に対し、なるべく逐一、異議申し立てをしておこうという趣向なのでございま~す♪ ================================ (l)総会では通知された目的についての決議しかできないのか? 動議が認められた場合には、その場での議論も必要では? ================================ ※この(l)節(小文字の「える」ですよ)では、独断と偏見に基づき、私見を述べさせて頂きます。 区分所有法でも標準管理規約では総会では「決議」をするように書かれています。 まず、集会(総会)招集の目的となる議題が「普通決議」か「特別決議」に分類されていることからもわかるように、総会の目的は「議題についての決議」であるということでしょう。 しかし、総会で行うべきことは、事前に通知された議題について準備された具体的な議案に対しての「賛否を問う」という、それだけなのでしょうか。 これは【その1】の(e)の廣田氏のブログ②の事例(>>15940)のように、「今回は採決を見送り、次の臨時総会での継続審議とする」ということがその場で「承認される」というのも、一つの決議のあり方ではなかったかな、と。(当たり前の話ですが。) そして、その日の目的となった議題についての決議が「次回へと持ち越し」されて、「継続審議」になると決着がついたなら、それで総会は「お開き」となる「べき」ものなのでしょうか? 場合によっては、「理事会に議案を差し戻し、議論を尽くして貰う前に、せっかくなので、残りの時間は、今回の出席者からの意見を聞いて、それをまとめるという公聴会的な機会にしたらどうか」という提案がなされる場合はどうなるのでしょうか? あるいは、時間配分を見て、議長がそういう提案をするかも知れません。 法や規約の解釈としては、通知された議題、議案に関連がある範囲でなら、その場でいきなり出された「動議」も決議可能とされているようです。 色々なサイトで情報を確認しましたが、これは解釈が分かれていることはありませんでした。そこで、他の箇所で引用したものと被らないように、一例として以下の弁護士サイトのURLをあげておきます。 *管理組合の総会で出された動議の取扱いについて|マンション管理の問題解決 六報法律事務所 弁護士 池田泰介 http://マンション管理.com/2020/04/12/275/ また、区分所有法の第37条第1項では「あらかじめ通知した事項についてのみ、決議をすることができる」とありますが、第2項では「前項の規定は、この法律に集会の決議につき特別の定数が定められている事項を除いて、規約で別段の定めをすることを妨げない」とあるので、普通決議の場合、動議についてはフレキシブルに各管理組合が規約を定めても良いことになっています。 となれば、上で私が例として出した「意見を聞く場とする」という提案は、決議された「次回の臨時総会へ持ち越し」の、その持ち越す「方法」として、「本日の残りの総会の残りの時間の有効活用の提案」という「動議」と見做すことは出来ないでしょうか。 そうすると、他の出席者から、「いや、今、すぐ意見を言うのは難しいし、口下手の自分としては書面で出したい、理事会が後日、質問や意見をまとめて欲しい」「アンケートを取ってほしい」という対立意見が出されることもあるかもしれないし、「質問書・意見書やアンケートなどの方法について今決めるのは難しいし、今回の出席者だけでいきなり決めるのは慎重にして、理事会で揉んで貰って、方法を提案して頂きたい」「いや、次回の臨時総会へ出される議案なのだから、全部、理事会が議論して議案にするべきだと思う。理事会に一任にすべき」という意見もありうるかもしれません。 それらの意見が場に出揃ったタイミングで、議長が「方法についての」採決を取るというのは、アリなのではないでしょうか。 これらの一連の流れは、単に「決められた事項についてのみ」決議して「ハイ終わり!」ではなく、決議と議論が積み重なり合い、さらに深まってゆくという、集会の直接民主主義の有機的な過程ではないかと思われるし、決して通知された議題から逸脱しているわけでもない筈です。 もし、ここで決議して「はい、次回に持ち越しね、お開きお開き~♪」としてしまったなら、その後のプロセスはどうなるでしょう? 次の臨時総会までの間に理事会での審議へと「自動的に一任」されてしまい、一般組合員は理事会が次に出してくる議案について、臨時総会に呼ばれるだけになるかもしれません。 中には、理事会に対して個別に意見をポストに入れる組合員もいるかもしれませんが、理事会から「先日の総会の結果を踏まえて、質問や意見を出して下さい」「アンケートを取ります」といった要請がない場合は、自発的にポストに自分の考えを投函する人がそう多いとは思えません。いや、大抵の人が言われなければしないでしょう、そういうもんですって。 これでは、せっかく総会の場に人が集まっているのに、人々の意見を集約し、それをリソースとして有効活用できず、理事会のみが同じ面子で同じような考え方の傾向をベースとしてまたもや仕事をする、そして一般組合員との間に分断が生じてしまう、ということの繰り返しになるような感じがしてしまうのです。 また、上の【その1】の(e)の事例②(>>15940)のような「採決せず持ち越し」ではなく、議案が否決された場合でも、色々な展開が想像されます。 そのまま議案自体が却下され、「工事は不要」のように自動消滅になる場合もあるでしょうし、「工事の発注先が否決されたので、先ほどの意見にあった代案を理事会が精査し、臨時総会にかけます」とか、「もっと調査して案を練ることとします(出直し)」のように、議案の大枠の方向性は決まっていながら細目は決まらないということになる場合も多々あるはずです。 なんと言っても事例②は「足掛け三年」の歳月、組合で議論をしてきたって書いてあるじゃないですか。 そういうのって、たとえ総会でひっくり返されたから否定的な事態であるとか、総会が荒れたとみなされるのでしょうか? 違いますよね? 紆余曲折を経ながらも、合意形成へと向かって進んでいる過程だと思います、てか、思いたい!(笑) 「適正化指針」(【その1】の註1で示したように後に「基本方針」に含まれるようになった)では、以下のように書かれています。 「管理組合の自立的な運営は、マンションの区分所有者等の全員が参加し、その意見を反映することにより成り立つものである。そのため、管理組合の運営は、情報の開示、運営の透明化等を通じ、開かれた民主的なものとする必要がある。また、集会は、管理組合の最高意思決定機関である。したがって、管理組合の管理者等は、その意思決定にあたっては、事前に必要な資料を整備し、集会において適切な判断が行われるよう配慮する必要がある。」 ここで「集会は、管理組合の最高意思決定機関である」と言われている以上、一瞬、意思決定しかしてはいけない「かのように」読めないこともなく、ちょっと怯みました(爆) ですが、前の下りに「管理組合の自立的な運営は、マンションの区分所有者等の全員が参加し、その意見を反映することにより成り立つ」とちゃんと書いてあり、「全員参加で意見を反映」する直接民主主義が提唱されているわけでして、それができる「場」と言えば、それは理事会ではなく総会を意味します。 総会で否決されたり次回に持ち越しにされたりしても、ただ自動的に理事会に差し戻せばいいっていうのは、なんか違うと思うわけです。 なので、総会では、まず第一に「全員参加で意見を反映させる」という機能があるように読めます。その前提の上に立ってこその次の文、「また、集会は、管理組合の最高意思決定機関である。したがって、その意思決定にあたっては~略」なのですよ。 最初から、何の但し書きもなく、いきなり「総会は最高意思決定機関である」という定義から書き始められているわけではないのです。 それに、これは法でも規約でもなく、「指針」(「基本方針」に所収)ですから、法や規約のような厳密さを持った言葉ではなく、「規定」「定め」ではないことに注意をしなくてはならないでしょう。 「最高意思決定機関」というのも、国政に擬えて、比喩的に、イメージ喚起的にわかりやすく語ってみた、って感じではないですかね? 「最高」や「機関」と聞けば、「すっごく大事なことを決めるんだ!」って感じが伝わってくるじゃないですか? つまり、レトリックですわ。…と、私は勝手に思うことにしました(笑) なので、この箇所だけを切り取って、総会とは、「意思決定をする場だ! つまり、決議の場だ!」「決議をしなくてはならない!」「採決だけしろ!」というのは行き過ぎだし、何より、決議をするために行うべき議論のステップを抜かしてはいけないということです。議論なしで行える決議なんてないんですから。 上述のように、「指針」「基本方針」でも、「全員参加で民主的に意見を反映させた上で集会で意思決定しなさいよ」って言ってるわけでしょ? どうもこの「最高意思決定機関」の文言が一人歩きをして、「総会前主義」が牽強付会に総会での「議論」を排斥して、総会では決議だけに「持っていこうとしている」ように思えてなりません。 結局、意思決定のプロセスは、決定打が出ない限り、一回の総会で終わらず、続いていくことは大いにあるわけです。それを、「決議の場なんだから、さっさと決議をしろ」というのは、暗に「(可決か否決かの)決定打を出す」ことを前提としているようにしか思えないんですよね。そのために、総会の前に仕込みをしておけっていう? しかも、「総会前合意形成主義」の人々は、こちらのスレッドもそうですが、色々な情報サイトでも決まって「理事会案の決議」っていう限定された言い方をしていますよね? 「総会前主義」のサイトでは、「理事会が事前に審議を尽くしているのだから、総会ではそれがそのまま承認されることが多いものだ」とまで言っちゃうケースが多々あるわけです。 もう、ここまで来たら、「最高意思決定機関」という言葉を曲解し、「決議(だけ)の場」と決めつけるのは、暗に「理事会案を通すための政治的な手法」としか言いようがないと思えてしまいます。 ・・で、それ、本当に理事会案なんですかっていう声もどこからともなく聞こえて来るような~(邪推ですよ(笑)) ここで区切ります。 |
15951:
15536です。
[2022-12-10 18:03:25]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 4 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ================================ (m)法や規約の「決議事項の制限」もしくは、その規定が該当しない ケースから見えてくるのは、総会での「話し合い」についての寛容さ。 ================================ 決議事項に関しての法や規約の定めから、さらに興味深いことが見えてきました。 まず、区分所有法では、第37条に「決議事項の制限」が定められています。 第35条の「招集の通知」の規定により、「あらかじめ通知した事項についてのみ、決議をすることができる」と定められています。また、標準管理規約では約47条第10項にも同様の規定があります。 既に見てきたように、この通知された「会議の目的たる事項=議題」ですので、通知された議題についてのみ、決議ができるということです。 ただし、同法第37条第2項では、これは普通決議の場合なら、「規約で別段の定めをすることを妨げない」とも書かれているのです。要は、そのマンション次第、管理組合次第であると。 また、これは「決議をするならば」ということであり、必ずしも決議をしなくてはならない という規定ではありません。 というのは、「通知されていない事項」について、決議は出来ずとも、「話し合うことは出 来る」という法解釈は妥当なようです。 *総会の決議事項|弁護士によるマンション管理ガイド 根岸 透(東京弁護士会) 2021年7月20日 https://mansionbengo.jp/soshiki-unei/soukai-ketugijikou そこから導き出される問いとして、総会で「当事者の声をみんなで聞く」ような時間が設け られたりしてはいけないのでしょうか? 出席者の中に、思いもかけない名案や、関連する知識を持ってる人がいるなどで、有効な話し合いが生じることもあるでしょう。上の(l)の例のように、「次回の臨時総会に持ち越し」となることで動議が生じ、その後の時間を「話し合いの場」にすることもあるわけです。 総会で、「話し合い」をしてはいけない決まりはないと思います。 また、これは以前書いた第1章の(2)(註4)で述べたことですが、区分所有法の第36条「招集手続の省略」では、「集会は、区分所有者全員の同意があるときは、招集の手続を経ないで開くことができる。」となっており、このような場合は第37条の「決議事項の制限」は適用されないことが、第37条第3項で述べられています。 註4:第1章「集会主義の復権」の「(2)総会における集会主義と直接民主主義と合意形成について考えてみる」(既出 >>15607)のこと。 この「区分所有者全員の同意による総会の開催」は、見事に直接民主主義がそのまま反映されたものであり、ゆえに「決議事項の制限のような決め事も不要」で、ぶっちゃけ、「自由に議論を尽くして決めてくれ」ってことのようですね。 区分所有法で「集会」について規定するためにベースとなっている「集会主義」こそはソクラテスの思想だと15598さんが指摘して下さいましたが、今の時代の日本においても、この第37条を区分所有法の中に組み込んであるその中に、まさに今でも「集会主義」が生きている証があるのであろうと、第1章(2)でチョロっと触れておいたのでした。(>>15607 ) 「集会主義」に基づいて区分所有法で「集会」について規定され、それを受けて標準管理規約で「集会=総会」と置き換えて規定されている以上、総会前の議決権行使書を重視するのは本末転倒となります。 これについては、ある程度、第1章(1)総会は議論をする場ではないということの根拠を問う >>15597)と同章(2)総会における集会主義と直接民主主義と合意形成について考えてみる(>>15607)で述べてしまったので、重複は避けたいと思います。 ただし、今、この「議題の通知」と「議案書の事前配布」に関しては、「もっとはっきりしたこと」を書いて決着をつけておく必要があります! 区分所有法も標準管理規約も、普通決議では議案書の事前配布を義務付けておらず、「議題の通知」をしろと言っているということの「意味」こそが極めて重要なのです。これを強調しておきたい。 というのも、「議題の通知」をしたら「議論」はどこでするのでしょうか? 総会でしょう? そういうことです。 法も規約も普通決議では「議題の通知をしろ」とだけ言っている、そして「集会主義」がベースである、これらから導かれることとは、議題を事前に知った上で、総会当日に「その場で」「その議題について」「議案書を参照しながら」「十分なプレゼンと説明を聞いて」「組合員みんなで議論をした上で」最終的な決議へと進めろって、法も規約も言ってるってことなんです!! ここから逸脱することは出来ないんです。 そして、「議案書の事前配布が義務だ」と述べるのは逸脱です。 こちらは知識情報のスレッドですよね。そうした場で、個人的な法解釈としてではなく、法の条文にあること「として」述べるのなら、適法的ではないですね。 あくまで議決権行使書提出者への善意の「配慮」から、事前に議案書を「配布したらどうか?」「その方が親切だよね」「個々のマンションやその管理組合の状況に応じての、運用面での施策として」「アドバイスする」ことしか、「出来ない」筈です。 私は、最初に頂いたレスで、専門知識がおありの人から「嘘」を教えられてしまったことになるんですかね(?_?) その時点で頂いたレスの内容に対して「そうなんだ…」と思い込んだ自分の殻から脱するのには、それなり~に時間を取られましたよ(笑) ↑これは、My エピソードとしてというより、もっと一般化した次元で、結構、重要です。 ================================== (n)総会前に配布された議案書と、それ以前の理事会の議事録を読めば、 「まともな組合なら」一般組合員でも総会の議題となる理事会案について、 事前に「十分に理解できる」ものなのか。 ================================== 私は自分が最初に書いた「15536」で、「うちのマンションでは議案書は事前配布されてはいるけれど、そんな要約を見たくらいでは理解なんてできないし、総会当日の詳細な説明を聞いた時こそ、ぶっつけ本番で議案そのものと対面する場面みたいになってしまうんですよ(主旨)」と書いたのですが、それに対する15537さんからの最初のレスが、(i)で引用した通り、 「総会案が総会当日に示されるというのは驚きです。」 という「誤読」によるレスでした。 その言葉から始まり、うちの管理組合は「異常」だから、「大変だと思うが、お前さん頑張りなされ」っていう温かい励ましの言葉で結ばれておりました。 それで、自分から「いや、議案書は送付されてはいるんですけど」と反論したのですが、それへのご返信がなかったんですね…。 これ、見方によっては「意図的誤読」に思えちゃうんですよね。(My 特技=邪推w) だってそうすれば、「総会前」に一般組合員が理事会案を十分に理解できないとすれば、そのマンションの管理組合の運営がおかしい(うちのように異常である)からだ、と「特殊ケースのせい」に出来るから。 「まともな管理組合」なら、「総会前」に一般組合員が理事会案を十分に理解した上で総会に臨むものである、と主張するのに都合がいいから。 「異常な管理組合」の組合員が、組合の異常を克服しようとして、いくら総会で議論をしようと試みたところで、その場での議論に頼るような総会がまともな総会なわけないだろ、と返したいから。 違いますか?(笑) まずねぇ、誤読の詫びくらい、したらどうです? それをなさらなかったことで、他の人は15537さんの、それなりに長文での丁寧な善意のレスの最初と最後だけ見て「ああ、15536の組合さんは、なんか知らんけど異常ケースなんだね~(笑)」って思って読まずにスルー、もしくは面白がって終わり、だったでしょうよ? 自分、かなり怒ってました。今だから言いますけど。 そりゃ「異常」って言われれば、確かに異常なケースと言えないことはないと認めておりますけど、「総会当日にならないと議案もわからないのか!?」って15537さんが「間違って」書いちゃったことで、「余計に」うちのマンションの「異常の度合い」が「増し増し」で伝わっちゃいましたからね! しかし、異常と言っても、うちの場合は本当に滅多にない、数少ないレア・ケースなのだろうか?という疑問があります。「異常」だから少ない、いや、極少だ、無視できる誤差レベルだろうというのは「単なるイメージ」です。 異常なことが諸方でたくさん起きていて、それがまかり通っているのが現代社会じゃないですか(笑)(そういえば、異常が蔓延するパンデミックというものさえ、常態化しつつあるくらいで。) 少数や弱者、あるいは異常ケース、特異例だとしても、それは実は、その真逆の「多数や強者や標準的な者、あるいは正常とされるケース、一般的な例」の影であったり、それらノーマルとされるものの中の否定性、負の側面の現れだったり、場合によっては意図的に負を押し付けられたものだったりする(そういう社会階層があったりしたじゃないですか歴史的に)というのは、「正常と異常」についての人文社会系の学術的な見解として、すでに片がついてることだと思うんですよね。 その上での、少数者、弱者の尊重ということが、民主主義の前提とされてきた。 それを無視することはよろしくないと思いますね、民主主義として、また、真摯な態度としては。 そして、 異常=極めて少数=誤差程度=一般的な話題からは除外して良い=無視できるレベル こういう風に「数に関する」連想ゲームが起こりやすい。つまり、「統計的に無視しちゃえばいい」っていう言論誘導でもあるのですよ。 そういうことされてると思うから、「主義者め!」って言っちゃった訳ですわ、【その1】で。(総会前合意形成「主義」のことですよ。) しかしながら、今、この箇所では、私は別にそうした「マイノリティーを大事に~!」みたいなアジテーションがしたい訳ではないのです。この「誤読の件」を敢えて今更ながらに取り上げたのは別の理由です。 というのは。 全国で現状として結構あると言われている「管理会社に丸投げ」のマンションの場合、「うちの組合のようなこと」は、表面化していないだけで、実際はたくさん起きているのではないかという感触が、なんとなくですけれどあります。 だからこそ、問い掛けをしたいということです。 (それもあって、うちのケースが「比較対照」できる事例になりうるかも!と思い、最初の15536の投稿の段階で、具体的な状況を箇条書きにしておいたというのもあります。他の組合さんの参考に、もしなればと。) また、異常や特殊な場合だけでなく、標準的な管理組合の場合を考えたとしても、やはり、総会での議論がいかなるものかについてを考えるのは、「あり」ではないでしょうか? 普通だろうが異常だろうが、どんなマンションであろうが関係なく、「本質的な問い」でしょう? そして、「一般化可能な課題」ではないですかね?? だからこそ、自分は今までこのスレで発言を続けてきたのです。 ま、経緯は置いておきます。15537さんを糾弾することが目的ではないので。 それに、15537さんが、議案書の理解を促すための対策についてはアドバイスを下さったので、それで今後自分が、うちの総会のために何を働きかければいいのか見えてきたので、感謝の方が大きかったのは事実ですよ?(そこは、間違えないで欲しいです!!) そして、たとえ議案書がうちの組合みたいに要約的で簡素だったとしても、それでも15537さんが前後の文脈でおっしゃっていたように、総会に至るまでのその都度の理事会の議事録が配布や回覧、掲示されていれば、総会の議案書を見ただけでも「ある程度のことは」事前に把握できる筈だということは否定しません。 実際、(j)ではその前提で自分の論を進めています。 ましてや、「まともな管理組合」の「まともな議案書」なら、事前理解はより深くなることでしょう。これも同意しますよ。 ですが、少し知恵をつけた自分として、今、次のように問いたいのですわ。 「それって、理事会の議事録と総会の議案書が『どの程度の深さ、情報量で書かれているか』次第でしょう? つまり、実際の運営次第で変わってくるようなことでしかないのでは?」 「それに、『まともな管理組合』『まともな運営方法』などはとても抽象的だし、基準もない。理念でさえない。空を掴むような、ただのイメージでしかないですよね?」 たまたま、ある種の条件で成り立っているマンションにおける管理組合で、運営に関してもある種の条件が満たされたことで「たまたまその組合では」「うまくいっている」ことをもって、それを「一つの成功事例」とかではなく、「標準=まともな管理組合の典型例」と、言ってしまってるだけでしょ? 別種の条件で成り立つマンションの管理組合で、運営に際して別種の条件が必要で、それがなかなか難しいような場合、「まともじゃない」とか言ってしまっていいんですかね? それを、「まともな管理組合の理事会ならば」という前提で、「総会前に、十分な情報は組合員に提示しており、意見交換も事前に十分されている「筈」である」と言うのは、言い過ぎではないですか? はい、言い過ぎですね? 言い過ぎで~す! なぜなら、それはやはり、どう転んでも「総会前主義」にしかならないからです。 「総会前主義」の管理組合=まともな管理組合、っていうのは、やっぱり言い過ぎではないでしょうか? つまり、私がレジュメみたいな議案書を見て「?」となって、総会でいっぱい意見を言いたくなったとしても、それはうちの管理組合のあり方の異常性だけに還元することも出来ないし、「総会は議論の場ではないのだぞ?」とお叱り頂く理由にもならないってことですわ。 「総会前主義」の立場だと、そういうレスになる、ってことだけに思えるんですね。 ここで区切ります。 |
15952:
匿名さん
[2022-12-10 18:03:36]
>>15942 15536です。さん
さすがに長すぎる。 結局、何が言いたいのですか? 廣田氏のブログの例は、主義の問題ではなく、当事者の能力の問題ではないのか。 出席者の賛成票、議長への委任状、賛成の議決権行使書の合計が過半数であれば、承認の決議が採択されるべきであり、議案書の内容を問題とした廣田氏の指摘は的外れである。 議決権行使書により賛成した議決権は、議案書の内容を承認したものであり、総会で変更された議案をも承認するものではない。 よって、総会で議案書を変更した場合、議決権行使書の賛成は、賛成票とは出来ない。 せっかくの長文なのに、↑の意見に明快な反論がない。 >2時間 普通に議案書を読み上げ(会計の数字は一部省略しても)ちょこちょこと質問を受けて、採決するだけで、2時間は掛かりますよ。 |
15953:
15536です。
[2022-12-10 18:10:52]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 5 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ================================== (o)「総会前主義」の推奨するような事前の合意形成のための諸方策は、 法や規約による規定がないために偏りを排除しづらく、また、マンションに よって組合のあり方も抱えている条件や状況も千差万別のため、どこまでを 一般向けに推奨することが出来るものなのか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①事前の書面でのやり取りは、十分なコミュニケーション足りうるか。 ②マンションのコミュニティ形成による「日常的コミュニケーション」 からの合意形成には、実は参加の不平等性が潜んでいることに 気づかれにくい。 ================================== 【その1】の「(e)対する「総会前合意形成主義」はマンション内コミュニティでの合意形成活動で立ち向かう!」で書いたことを、こちらの文脈に置き換えてさらに展開しておきます。 「総会前主義」が提案するような「総会より事前に」やっておくべきことって、法的な規定も標準管理規約の詳細な規定もな~んもないことは【その1】の(e)で既出です。 特別に細則でも設けてる組合さんは別として、大抵は慣習的にやってるだけだと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①事前の書面でのやり取りは、十分なコミュニケーション足りうるか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 理事会の議事録に、必ず「事象の説明とこれまでの経緯と議論の経過等を記録すべし」とか、総会の議案書には、「対案との相違、メリット・デメリット、今後への課題等も記載せよ」とかの指南が規約等にあるわけでもない。 だけど、そういった経緯や経過、対案やメリット・デメリットのような細かいことこそ、本当は一般の組合員が知りたいことだと思うのです。 ここは【その1】の(e)で挙げた廣田氏のブログ記事の②(>>15940)の指摘に首肯します。 それでも、事前に書面で配布されたり掲示されたりすることで、理解が及ぶと言い切れるのか、読んだ人の「思い込み」や「誤読」を避け切れるのかという疑問が残ります。 ならば質問書や意見書の提出を促し、理事会がそれに回答をすればいいというのも、現実としてどのように行われるかによります。考えられる問題を書き出してみると、 ・質問や意見を抱えている組合員全員が、書面で事前に提出するとは限らない。(提出は義務ではない。) ・仮に全員が提出した後でも、理事会からの回答で納得せず、更なる質問、意見が総会へと持ち込まれることはあり得る。 ・質問書や意見書に書き手の「言いたいこと」が全て反映される保証はない。 「書くのは苦手、口頭の方が言いやすい」「説明不足」「独特の言葉遣い」「考えがまとまっていない」「外国語の方が堪能(外国人のみならず帰国子女や海外歴が長くて日本語から離れていた人)」「言葉より絵画等の他の表現の方が得意」等。 ・仮に書面に書き手の「言いたいこと」が全て反映されていたとしても、受け手である理事会側に内容が十分に理解される保証はない。(コミュニケーションの難しさ。) ・質問書・意見書の全文は議事録のように配布、保存されるかどうかわからない。(規定がない。)また、配布、保存される場合、発言者の個人名、部屋番号、内容に含まれる個人情報に関してどう扱うべきなのかについても何の保証もない。(規定がない。) ・理事会側が提出された全ての質問・意見に対し、逐一、十分な回答を返すことができる保証はない。 →・全体が記録され全員配布されなければ、何を「全体」としたのか不明 ・理事会側が回答すべき質問や意見を選択した場合、その基準が不明 ・理事会側が、「同じ質問、意見」とみなしてカテゴリ化する場合、 正確なカテゴリ化が行われる保証はない (内容の読み取り不足や誤読、カテゴリの括りの論理が曖昧、等) ・理事会側の審議が現実に追いつかず、「回答に能わず」もあり得る やはり、「双方向的に」お互いの感じていること、思っていることを、出来れば「対面で」発言し、丁寧に意図を確認しながら意思を交換し合う場が必要となるんではないでしょうか? 総会という「場」があるんですから、そこでするのが「一番簡単な方法」だと思いますけどね? 総会を活用すべし! そして、事前の質問書・意見書を書く手間が組合員のスケジュールを圧迫し、理事会側も 「理事会として」の「公式見解」を用意するために総会前にさらに理事会を開催して準備することになるなど、却って事態を面倒にし、双方の作業を増やすだけに終始することもあり得ましょう。 総会前に、それだけ関係者全てに「事前準備」の負担をかけて合意形成の下拵えをして、それで総会では、一体全体、何をするっていうんですかぃ? 決議、だけ? (←なんか、ここ、すでに笑うところかなって思います。) 「総会前主義」は、このように総会前にあれこれ手間暇かけろって親切めかして言うけれど、そのことで何をしたいのかと言えば、「総会で決議だけにしようとすることが目的」であるように見えるから、胡散臭いんですよ(笑) やっぱり、【その1】で書いたように、尖んがった人達による「総会崩し」に思えてきてしまうなあ・・・・。 そうではなくて、管理組合の「あり方」として、「日頃から」一般組合員の声を拾える「開かれた」理事会であり、かつ、一般組合員に対する理事会からの情報提供も十分であるような、双方向的な日常のコミュニケーション、意見交換が行える「土壌」が形成できるなら、「総会前主義」というより、「総会の場をより良く運営する一助にはなろう」という「読み替え」においてならば、「総会前合意形成主義」の「善意」が生きるかも知れないとは思います。 でも、「土壌」は出来ても、全員が一堂に会することで生み出される「場」ではないのです。重ね重ね申し上げますが。 そしてその「土壌」も、やはりケース・バイ・ケースであり、日常は皆さんそれぞれの生活があるわけですし、マンションによって条件が異なるわけですから、ある一角で「住民意識の高い系」が生まれてボトムアップで自発的なアンケート活動などが始まって、理事会と一緒になって盛り上げていくようなことが起きたとしても、一方では、「その片隅で」そうした活動に参加できない諸事情を抱えている住民だって「いっぱい居る」筈です。(オーナーが居住者でないケースなどもそうなる可能性は大いにあります。) 日常的なコミュニケーションが全員を照らすわけではない、影になったり隠れてしまう人がいるなら、たとえ99%がコミュニケーションを深めることが出来ていても完全ではないし、99%で「ほぼ合意は達成」と思ってしまってはいけないのですよね。 そこで、意図せざる「排除」が起こる可能性は十二分にあるからです。 あ、これも少数者、弱者、マイノリティという問題領域となりますね。 また、言い換えれば「多様性」ってことにもなりますね。 どうも多数決での採決を最終的な決着とみなすと、「多数対少数」の構図に見えてしまうのですが、それって、実は単に「多数決という方法を取るからそう見えるだけ」の話なんですよ。 賛成した人だって、「どういう意見で、どういう意図で、あるいはどういう利害や目的で」賛成したのかは、人それぞれですからね。合意形成といっても、合意の中に個が埋没するわけではないのです。その多様な見地からの賛成=合意の「公約数的なこと」を、実行していくことに「決まった」というだけです。 常にそこにあるのは「ひとりひとり、みんな違う」っていう多様性です。そうじゃなきゃ、人間じゃない、「bot」か何かでしょう(笑) なので、賛成した人と反対した人が、決裂する必要もない。少数者の立場に置かれた人が、肩身の狭い思いをしたり、孤立する必要もないんです。 そのくらい成熟した総会になって欲しいものだと思います。 そうでないと、大衆のコントロールと同じようなことが起きてしまう。多数派を大衆と見做して、愚民化させて、世論捜査のようなことが起こり、理事会だか管理会社だか一部の者達が操縦してゆく管理が起きないとも限らないからです。 (実際に、管理会社にお任せのマンションはそうなってることが結構あると思う・・・邪推じゃないんですよ。) ここで一旦区切り、次は続き②からです。 |
15954:
15536です。
[2022-12-10 18:44:50]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 6 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ================================== (o)「総会前主義」の推奨するような事前の合意形成のための諸方策は、 法や規約による規定がないために偏りを排除しづらく、また、マンションに よって組合のあり方も抱えている条件や状況も千差万別のため、どこまでを 一般向けに推奨することが出来るものなのか。(続き) ================================== ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ②マンションのコミュニティ形成による「日常的コミュニケーション」からの 合意形成には、実は参加の不平等性が潜んでいることに気づかれにくい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー また、「善意の総会前合意形成主義」のように見受けられる廣田信子氏の持論であるところの、マンションを「コミュニティ」として育てることで合意形成の土壌としてゆくというような考え方に基づいて、「開かれた理事会」と組合員の「日常的コミュニケーション」というものには、「個人的には」微妙な束縛感もあります。 コミュニティに関わりたい人も、そうではない人もいて良いのだし、生活スタイルとしてマンションのコミュニティに関われる人ばかりではない筈です。 (「寝て帰るだけ」の人は、学校や職場などの用務地の方に「コミュニティ」として帰属意識を持っていたりする。通学してくるだけの大学生が大学の所在地の「地域おこし」にボランティアやサークル活動で勤しんでいたりするケースがあるように。) コミュニティって、半分は心の中にあるもんだと思いますよ? よって、マンションでの「コミュニティ形成」は、滅多に会うこともなく、個人情報だって知らない人ばかり、暮らし方も千差万別、それでも「マンション管理(防災、防犯等含む)という目的に特化した場合、それにおいては快く協力し合う」「その結果として、内輪の集団ばかりで固まらずに誰でも参加できるような屋外での夕涼み(子供のための花火付き)やバーベキューくらいのイベントなら気が向けば参加するかも」というくらいでいいのではないかとも思うのですよ。 そして、そうした「日常的コミュニケーション」は法制化も規約化もされていないのだから、日常的な参加者、つまり常連的な、活動的なメンバーの主観で「ほぼ合意達成」と思い込まれて既成事実化されてしまうのを「防止する装置」がないわけですよ。 しかも、「心の中で成立してしまう仮想空間」的なものだから、すっぽりそこにハマってる活動的なメンバーには、それが主観でしかないって気づかれにくいわけですよ。相互主観が成り立ってるからそれは客観と見做せるんだとか? そんなわけにはいかないでしょうよ、シビアな見積書などの様々な具体的な決議事項を前にしては。 日常的なコミュニケーションに議事録はありませんから。「理事会便り」みたいなものを刊行したとして、そこで取り上げられるものは恣意的になる恐れは否めません。 なので、大衆コントロールならぬ組合コントロール、住民コントロールの余地があることが、この「日常的コミュニティにおける合意形成活動」の影の部分ではないかとも感じております。 だからこそ、全員参加の民主的な場としての「集会=総会」が「最高意思決定機関」として位置づけられ、日頃はコミュニティ活動や説明会、意見交換会などに(質問書・意見書、アンケートなどの書面レベルであっても)参加できないような人であれ、「集会=総会」でなら、自分の意思を表明することが出来、そこでの議論が法的にも規約的にも保証され、議事録としても残される「集会主義」の方が、よほど公平であり、民意を反映する制度になりうると思うわけですよ。 いや、思うというより、「そうしなよ!」って、区分所有法は言ってる気がしますが。 ということで、「総会前合意形成主義(総会前主義)」については、「それが功を奏するマンション事例はあるだろうし、参考にすべき点、見習う点はあるだろう、でも、全体にそれを敷衍させるものではない、よって、法制化や標準規約化には至るものではないんじゃないの?」というのが自分の中で既に固まりつつある結論です。 ところがところが、おっとどっこい、適正化法の 改正では、「指針」の前文で「コミュニティ」っていう言葉が追加されていたんでした。標準管理規約にも、この言葉は出てきます。あらら~。 ちょいと、これをやっつけておきたいと思います(笑) ============================ (p)適正化指針や標準管理規約の言う「コミュニティ」とは 何を意味し、それはネット時代において「ネオ集会主義」に どう反映されていくのだろうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①適正化指針の改正により登場した「コミュニティ」の 語の意味は不明確だった。 ②「コミュニティ」は、日常的にはどのようなものとして イメージを共有されているのだろうかか。 ③マンションにおける「コミュニティ形成」への取り組みが、 総会の合意形成を逆に阻むという逆説的な現状。 ④キャラやアバターがヒントとなり開かれる新たなコミュ ニケーションが、「ネオ集会主義」と結びつく時…。 ============================ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①適正化指針の改正により登場した「コミュニティ」の 語の意味は不明確だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私が「善意の総会前合意形成主義(総会前主義)」だと見做している廣田信子氏は、マンション内の「コミュニティ」をコミュニケーションの土台として日頃から意識して形成していくことで、マンション管理に関する合意形成もうまく行くんだというような立場でいらっしゃいますが、このマンションにおける「コミュニティ形成」については、2016年の「適正化法」の改正で「指針」(「基本方針」所収)の前文に付加された以下の文言の趣旨に対応していることであるように見受けられます。 「また、マンションにおけるコミュニティ形成は、日常的なトラブルの防止や防災減災、防犯などの観点から重要なものであり、管理組合においても、建物の区分所有等に関する法律(昭和三十七年法律第六十九号)に則り、良好なコミュニティの形成に積極的に取り組むことが望ましい。」 ただし、この適正化指針の改正において、「コミュニティ」という語が出てきたのは上記の2箇所の他に、「二 マンションの管理の適正化の推進のために管理組合が留意すべき基本 的事項 」の「7 良好な居住環境の維持及び向上 」で自治会及び町内会と管理組合の関係及び自治会費と管理費の区別について述べたところを含む3箇所のみでした。 つまり、「マンションにおけるコミュニティ形成」とは何かについての定義が不明確なのです。 これも、「集会は、管理組合の最高意思決定機関」という文言同様に、レトリックに近い感触を覚えます。 法や規約を見たところで、マンションにおける「コミュニティ形成」に対する、それこそ指針なるものは得られないと思います。 そうなると、人は、日常言語の感覚に頼ろうとするでしょう。日常言語としても、曖昧模糊とした概念ではありますが、まだ、生活に根ざした感情や感覚を伴った言葉ですし、時代の変遷とともに、社会の中で意味が移り変わっていくような実体性はないわけではないからです。 そこで、法や規約からはしばし離れ、一般的なコミュニティの言葉のイメージへと意識を向けてみます。 ここで区切ります。 |
15955:
匿名さん
[2022-12-10 20:55:00]
これスレ荒らしだな。
誰も読む者はいないよ。 何考えてんだか。 |
15956:
15536です。
[2022-12-10 21:13:06]
>>15952 匿名さん
後ろの部分から先にレスします。ちょっと深刻な事態みたいで・・ 私が全く文中に取り上げてさえいないことを出して来られ、「反論してない」と言いがかりをつけていらっしゃるので、困惑しております。 >>議決権行使書により賛成した議決権は、議案書の内容を承認したものであり、 >>総会で変更された議案をも承認するものではない。 当たり前です。何言ってんですか(笑) >>よって、総会で議案書を変更した場合、議決権行使書の賛成は、賛成票とは出来ない。 当たり前です。馬鹿にしないでくださいよ、初心者を。 >>せっかくの長文なのに、↑の意見に明快な反論がない。 は? 「↑の意見」って矢印で示された「意見」は「誰の」意見ですか? 誰が、「どこに」書いた意見なんですか? そして、私は、その誰かの意見に対して、反論しなくてはいけない立場に立たされていたのですか? 過去のどの時点で? そんな事実、どこにもないじゃない(爆) あなたはこの「>>15952」において「初めて」その文章を誰かの「意見」だと言って書いていらっしゃる。 今、初めてそれを読んだ私に、「明快な反論がない」っておっしゃられても。 意味不明です!! その「意見」というもの、再掲しますが、 >>よって、総会で議案書を変更した場合、議決権行使書の賛成は、賛成票とは出来ない。 これ、私はここまで書いてきたどこにおいても、私からは「全く触れてもいない」論点です。 全く関係のない文章を、 あなたが今、 いきなりでっち上げて、 「あたかも既出の意見に対して」私が回答してないかのように、 言いがかりをつけていらっしゃるだけに読めます。 で、それについて、私が反論をしなくてはならないんですか? なぜ? 私が全く取り上げてさえいない話ですよね?? しかも、なぜ、私の立場からは「反論していなくはいけないかのように」あなたは決めつけるんですかね?? 上に書いたように、「取り立てて反論する必要のない命題」だと思いますが???????? 「せっかくの長文なのに」っておっしゃいますけれど、 一つ一つの論点は、短く書いて、それが連なっているだけでございます。 マックス・ウェーバーみたいに、ダラダラと1ページも切れ目のないような長文は、私は書きません(笑) だから、私の書いたものの「どこに」この「意見」とやらに相当するような論点が書いてあったのか、私の文章の中から「ピンポイント」で引用をされて下さい。 私が反論すべきだとおっしゃるのなら、それは私自身の「意見」ではなく、誰かの意見を私が引用したり、参照したりして、自分の文章の中で触れている、取り上げている、ということでしょうけれど、 それ、どこにありますか?? 本当に。 私、忙しいんですけれど。 まだまだアップしなくてはならない下書きが残っているんですから。 1ヶ月前に、このスレで、私に対して親身になってくださった皆さんとの約束ですし、とにかく書き上げようとしている最中なのです。 繰り返します。 誰が、誰の意見に対して、どこで、反論をしていないとあなたは問題視なさっているんですか? あなたが誤読されているだけなのか。 それとも、あたかも私が、明快な反論が出来ていない「かのように」 あなたが印象操作をしている可能性が濃厚です、か、ね? 私の文章は長い。だから、他の人は、あなたがお書きになられたレスの文章を読む。 短いから。 あなたの文章を読んだ人は、私の書いていることに対して、あなたが批評しているとみなす。 それで、あなたが正しいんだろうと、「勝手に思い込む」可能性がある。 それが狙いではないんですか? そういうことする人が、「議決権行使書提出主義者」(尖んがった総会前合意形成主義者)には多いので、もしやと思いまして。 このスレにも棲息してらっしゃるんです。 もし、違っていたら失礼いたします。 ちなみに、この「主義」というのは、その人たちが「自分たちはこういう主義主張だ」と名乗りをあげているのではないんです。 事象を観察した私の目には「そのような主義が存在しているかのように分析可能だ」というだけ。 よって、客観的な事実として、「主義」が存在しているわけじゃない。 それは、お分かりだと思います。 >>2時間 >>普通に議案書を読み上げ(会計の数字は一部省略しても) >>ちょこちょこと質問を受けて、採決するだけで、2時間は掛かりますよ。 「普通に」? うちの組合は、「異常」な組合だって申し上げてるでしょ? 噛み合わないですねえ~(笑) 一旦、ここで切ります。 |
15957:
匿名さん
[2022-12-10 21:22:00]
やはり大規模修繕工事の話が〇〇にも分かりやすくていいですね
|
15958:
15536です。
[2022-12-10 21:30:48]
>>15952 匿名さん
レスの続きです。前方に戻ります。 ①言いたいことは何かとお尋ねになられた件 >>結局、何が言いたいのですか? 複雑系って言葉、ご存知ですよね? それとも、「ズバリ書いたら命が惜しいってこと、ありますんで~♪」にしておこうかな。 あ、この物騒な話は、別に真に受けないでいいですよ(笑) 「そのくらいの心づもりで」ってことです。ネットの掲示板ですからね、一応気をつけないと。 ですが、「何が言いたいのか」とおっしゃいますけれど、私、論旨は明確に書いてますよ? 法や規約が基づいている「集会主義」を侵蝕してくる「不可視の」派閥が暗躍しているようだ、って。その派閥が不可視だからこそ、手探りで探査中なわけなのだって。 まあ、長くて申し訳ないです。それは本心です。 色々と腐心したんすよ、見出しとか読みやすくしようと。それで勘弁してやって下さい^^; 長いから全部読みたくないとおっしゃるなら、お読みにならなくていいし、わかんなくていいと思うんです。わからない、センサーに引っかからない、イコール、今のあなたの存在様態にはそれほど関係のないことかもしれないということですから。 いずれ、気になる度合いが深まった頃にでも、再度、お読みいただけたら幸甚でございます! ②廣田氏のブログあれこれ 廣田氏のブログ、廣田氏ご自身が「主義」について書いていらっしゃるわけじゃないでしょ?w この一連の投稿で私が書いてる「主義」というのは、あくまで「15536です」こと、自分が独自に編み出した概念ですってば。そこ、飛ばし読みしちゃったんですね?>【その1】 それじゃあ、ボタンの掛け違いでじゃないっすか~(><) そもそも、廣田氏には「総会前合意形成主義」という考え方は、直接は関係ないです。 廣田氏がお書きになられたことを、私の視点で「解釈したら」このように見える、というだけのことです。 >>出席者の賛成票、議長への委任状、賛成の議決権行使書の合計が過半数であれば、 >>承認の決議が採択されるべきであり、議案書の内容を問題とした廣田氏の指摘は >>的外れである。 承認の決議を採択しなかったのは、議長です。 そうなってしまった総会の「その後をどうするか」という段になって廣田氏は相談を受けたわけです。 能力の問題という言い方はしてませんが、それとなく廣田氏も指摘はされてますよ? 「その発言に対し、(註:強行に反対した新規入居者の発言) 理事がきちんと対応できなかったのが問題です。」 他の箇所にもありますが省略します。実際に氏のブログで確認なさって下さい。 しかしながら「能力」と言っても、記事によれば、輪番制で1年交替の新理事会メンバーだったって言うじゃないですか。>Yonda? ならば、経験不足も大いにありうるし、年度の変わり目のタイミングでそういう立場に立たされてる相手に、「能力がない」って、誰がどの口で、そんな風に突っぱねられるかなあ? 言った瞬間、ハラスメントになりますね。 初仕事がそれだった新理事に、すぐに能力つけろって、合宿で運転免許を取るんじゃあるまいし。無理難題ですね。 仮に、経験不足からくる能力の問題があろうと、「それをカバーする方法」は何かあるのではないかと、廣田氏は書いていらっしゃるわけでしょ? 廣田氏なりに、その組合の状況をくまなく精査して、「この新理事会でも、議案書を工夫してみたら、経験不足をカバーできるかもしれない」ってプランを弾き出したってことでしょう? もし、議案書に、過去3年の経緯や、検討した対案、アンケートの結果についてなどの詳細が示されていたなら、議事進行も違った形になったんじゃないかな、という「切り口で」廣田氏は「提案」をされているわけでしょう? 「そのくらい、読み取る「能力」ないんですかー?」って、言われたら、誰だって、嫌な気持ちになるでしょう。 ↑あくまで参考例であり、あなたのことを言っていません。 ③手続き的に承認にできるという件 >出席者の賛成票、議長への委任状、賛成の議決権行使書の合計が過半数であれば、 >承認の決議が採択されるべき 後略 議長が反対したら、「議長に一任」の委任状が全て反対票になりませんか? 議案の説明を受けて、疑義を呈する意見が場を席巻すれば、議長は「議案に問題あり」と判断して、採決を保留にすることも「アリ」ではないですか? 尚、このような出席者と議決権行使書の賛否が割れるケースをどうするかについては、この後、第2章【その2】の(s)という節で取り扱いますので、待ってて下さいね~♪ ありがとうございました。 |
|
15959:
15536です。
[2022-12-10 21:47:31]
>>15955 匿名さん
スレ荒らしじゃありません。断じて違います。 全く違うロジックでやってます。 とても大変な思いをして、この長文を書いているんです。 スレを荒らすためなら、もっと別のことやるだろうよ。 初心者の私に間違ったことを教えたスレ主さんが、 私からの突き上げに対して、どうお返事くださるか、ただそれを待つだけです。 そして、これまで私に対して親身になって回答してくださった皆様に、恩返しです。 それだけ。 読めばわかります。 とても深い話ですから。 でも、あなたは読まないでいいですよ。 「ガーッとスクロールしちゃっていいですよ」って、今日の最初の投稿で、私は書いてありますよ? 何考えてんだかって、あなたがそれをわからなくてもいい。 書いておくことに意味があるし、 約束だし、責任を果たしにきただけだから。 |
15960:
匿名さん
[2022-12-10 22:34:37]
早く消えてくれ。
スレ荒らし以外のなにものでもない。 |
15961:
15536です。
[2022-12-10 22:52:39]
>>15960 匿名さん
私を無視して、あなた方が「いつもの通りに」対話を続けていけばいいだけだよ。 所々に私の文章が挟まるだけだ。それを見なければいい。違うか? 最初から、そういう風にしてくれって書いてる。ずっと前からね。 私は、投稿と投稿の間に、インターバルを開けるようにしている。 他の人たちが、これまでの会話を続けられるように。 他の人たちのコミュニケーションが、アップできるように。 どうしてそれがスレ荒らしになるんだかわからない。 あなた方が、私が書き始めると、沈黙するからスレが止まるんだろう? 沈黙しなければいいじゃないか。 あなた方の対話の方が、相対的に多くなっていれば、ただ単に盛況なスレってだけだ。 あなたたちの場所なんだから、あなたたちは普通に書き続けていればいいだけだ。 あなたたちは、私が出てくるとコミュニケーションを止めてしまう。なぜ? そのことで、私がスレ荒らしにされてしまうんだ。 私のせいじゃない。そういうあなた方の態度に問題があるんだ。 勝手に私の投稿をスレ荒らしに仕立て上げようとしているだけだ! 私に対して、ちゃんと読んで、レスを返してくる人もいる。 そういう人に、あなた方は言うのか? こいつはスレ荒らしだから、関わるなって? それはその人に対する押し付けでしかないだろう? |
15962:
15536です。
[2022-12-11 01:42:18]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 7 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ============================ (p)適正化指針や標準管理規約の言う「コミュニティ」とは 何を意味し、それはネット時代において「ネオ集会主義」に どう反映されていくのだろうか。(続き) ============================ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ②「コミュニティ」は、日常的にはどのようなもの としてイメージを共有されているのだろうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 元々、「コミュニティ」という語は、結構、曖昧です。日常的な言葉としては、「共同体」「地域社会」の意味として了解は可能ですが、ただ単に同じ地域に住んでいるだけではコミュニティとは呼びにくいようです。 一定の地域を生活の場とすることで利害を共有し、何らかの人間関係が生じており、自治や相互扶助が行われ、伝統や習慣を共有したり、住民感情、帰属意識があるような、結合された人々の集まり、のような感じでしょうか。 「この町の住民として言うが、他所から来た人の駅前ロータリーでの路駐はやめて欲しい」「この街で暮らす若者としては、お洒落でいたい」とか、「町おこしに貢献したい」「アトム通貨(地域通貨、手塚治虫関連)って楽しいね」「うちの市長のこの間の会見、あれ良かったよな、パンデミック対策、頑張ってくれてるよ」「もう10年以上住んでて、第二の故郷みたいなもんだからな」みたいな感情から、「何らかの形で」自分も関わってる、みんなと何かを分かち合ってる、そんな感覚が無意識に醸成されているものです。 たとえ仕事から帰ってきて寝るだけの日々でも、休日に近隣を散策しながら「通りの向こうのあの角を曲がったところに、美味しそうなパン屋が出来ていたんだよ」「この町も満更でもないよな」って愛着を持ったり、「ねえねえ、今度、うちらも街コンに参加してみない?」「祭でタコ焼き食べて、久々に射的でもやって家族を楽しませようか」みたいな、自分自身の暮らし方と地域社会の折々のあり方がどこかで結びついているような、何らかの共同体意識「のようなもの」が成立していることがあるのです。それがリアルなコミュニティの風景でしょう。 元々は社会学者のマッキーバーが20世紀初頭に提唱した概念らしく、かれこれ100年以上前じゃないですか。結構、古っ(笑)その後、社会心理学でも取り上げられていたりするようなので、意識や感情の側面は無視できないものなんだろう、というか、それなくしては成り立たないんだと思われます。昔々の「おらが村」っていうのとどこか似てるというね。(なので(o)ではコミュニティは心の中にあるって書いてみたわけで。) でも、現代社会では、都市部や郊外の住宅地は、昔ながらの村落共同体とは色々な意味で異なります。まず、地縁はあっても血縁は条件とならない場合が圧倒的に多いですし、たまたまこの家を買った、借りた、転勤だった、つまり契約関係がベースであり、人間的な交流が土台になってそこに住み着いたというわけでもない場合もまた、圧倒的に多いです。 でも、サーフィンが好きで千葉の外房とか湘南に住み着いちゃう人たちとか、ダイビングの免許取って沖縄に…みたいな、趣味や嗜好が職業も伴って「ご縁」となるのが現代かも知れないです。地縁血縁とはまた別の「ご縁」でしょうかね。マンションを購入する時の地域選択には、意外とこういう現代的な「ご縁」が絡んでる気がします。 とは言え、同じ地域だからと言って、例えばサーファーばかりが住んでるわけじゃないように、一つの地域の上に重なって広がっている「ご縁」って、複雑で、多様だと思われ。なので、同じ地域、同じ立地の、同じマンションだからと言って、やはり購入した契機は人それぞれだと思うんだよなあ・・・。 となると、異なる出自で異なる理由から居住することになったマンションという集合住宅を、厳密には、いかなる意味で「コミュニティ」として捉えられるのか、漠然としてきてしまいます。 別に、生まれ育った場所とも限らない、たまたまそのマンションの一室に住んでいるだけで、お互いの名前などの個人情報もわからず、エントランスやゴミ置き場などですれ違えば挨拶をする程度の関係の住民達にとって、そこまでマンションに愛着感情を持てるかどうかは自分次第、状況次第、ライフスタイル次第、誰が住んでいるか次第です。 街は好きだけれど、住んでるマンションには特段の感慨もない、「隣は何をする人ぞ」という場合だって多々ありです。 むしろ、町内会的な「繋がり」が面倒で、お隣に声をかけるでもなく「鍵ひとつ」で出入りできるマンションを住処として選んでいる人もいるでしょうし、もっとドライに投資用に買った人もいるでしょう。 だからこそ、「適正化指針」の言うように、住民感情を盛り上げ、コミュニティを「形成」しないと、災害時などの助け合いなどもしづらく、マンション管理を自発的に行っていく集団とはなりづらいということなのでしょうか? それでも、「どういう風にコミュニティになるのか」は、モデルがあるわけでもなければ、どこかの模範的なマンションを真似れば、どこのマンションでもシミュレーション・ゲームのようにお手軽に、コミュニティが出来上がるというわけではない筈です。 また、コミュニティを形成しなければ、マンション管理が本当に出来ないのかと言えば、そんなことはないでしょう。事実、人の入れ替わりの激しい賃貸マンションだって、ちゃんと管理はされています。 分譲オーナーによる管理組合の総会での合意形成が難しいからと言って、だから日常的に理事会が組合員に働きかけてコミュニケーションを活発にし、コミュニティ活動を積み重ねてお互いを「知り合う」ことで、マンション管理についての意識も高めていこうと言っても、それにはどこか押し付けがましい、暑苦しさを感じないでもありません。 むしろ、ほどほどに放っておいてくれるような住環境の方が、マンション管理についてのみ、それに特化して、余計な感情を排して、総会で有意義な話し合いが出来るということもあるかもしれないです。 果たして、「コミュニティ形成」こそが「総会の活性化」に繋がるのかどうか?? それも、実はよくわからないなあ、というのが実感です・・・。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ③マンションにおける「コミュニティ形成」への取り組みが、 総会の合意形成を逆に阻むという逆説的な現状。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー マンションにおけるコミュニティ形成と、マンション管理における合意形成は、現状では、「さしあたり」分けて考えてもいいのではないでしょうか。 「善意の総会前合意形成主義」は、総会前にコミュニケーションを活発化させようとするので、突き詰めていくと廣田氏のようにコミュニティ志向になっていく傾向は否めません。 ですが、そうすればするほど、ハードルが高くなり、コミュニティへの参加が難しいからということから、居住者等の総会への全員参加も阻まれることにもなりかねないと思います。 そうなれば、コミュニティ形成こそが総会への全員参加を阻む契機となる、という「逆立ちした状況」も生まれないとは限らないということです。 区分所有法の「集会主義」は直接民主主義です。今時の世で「成り難い」直接民主主義です。今の社会で「成り難い」全員参加の会議です。 ですが、規模が桁外れで議題の幅も果てしなく多様な国政や地方自治とは違い、マンションという限られた範囲の住空間で、メンバーも限定されており、かつ、意思決定する議題も比較的範囲が決まっているからこそ、むしろ忌憚なく「直接民主主義」が行える可能性があります。 直接民主主義だからこそ、マンションについて日頃思っていても話せないことを話す機会が誰にでも平等に渡されます。誰の言葉にも重みがあります。少数者、弱者でも、表に出て来る機会が確保されているのです。 そして、あくまで総会(集会)の直接民主主義というのは合意形成のための「形式」「方法」です。 直接民主主義で全員参加なら、全員が顔見知りで、日常的によくコミュニケーションを取り合っていないといけないだとか、気心も知れて、コミュニティのイベントや活動にこまめに参加していないとそれが成立しないということではありません。 むしろ、意見を自由に述べ合うには、上述したように、日常の人間関係が邪魔することさえあるのです。「しがらみ」は集会への出席や発言を阻害することが往々にしてあります。 マンション管理に関する特定の議題という目的に特化して、必要な時には馳せ参じ、総会で積極的に意思を反映させ、協力し合ったとしても、目的が達成されたらまた解散するような、離合集散型の集まりでもいいのではないでしょうか。 総会で活発に関わって、相互理解が深まったからと言って、お互いの生活を丸ごと共有するわけじゃなし、むしろ「コミュニティから距離を取る自由」だってあって良いと思います。 いや、それがなければ、住環境として息が詰まるだけでしょう。 直接民主主義で、私がこれまでずっと強調してきたような、少数者や弱者、個々の多様性を大事にするなら、「コミュニティ」と呼ばれる「意識空間」の「全体」がシームレスで窓のない天蓋のように、住民全員を覆ってしまわない方がいいのではないか、とさえ思えてきます。 「全体」って、危うい概念です。「誰1人取り残さない」なんていうおかしなスローガンが持続可能な社会だとか環境保護やエネルギーの循環、福祉等に託けて叫ばれていますが、セーフティネットを作るという意味においては賛同するとしても、それ以外の面で、誰1人取り残さないようにする全体って、「取り残されてないか常時監視されている」ことにしかならず、至極、抑圧的であると思いますね。そんな場に、住んでるマンションがなってしまうのは至極、嫌ですね。 まあ、廣田信子氏が、そんな意味で「コミュニティ形成」を提唱されてるわけではないでしょうし、廣田氏自身も、結構、曖昧模糊としているように感じます。 また、「適正化指針」も、そんな意味でコミュニティ形成を前文に入れたわけではないでしょう。どちらかと言えば、文言にある「日常的なトラブル防止、防災、防犯」という対応すべき「目に見える」項目があり、さらに、自治会、町内会といったマンションが立地する地域との関わりの側面への考慮が強いように思います。 (標準管理規約においてもコミュニティという言葉が何箇所か出てきますが、管理費と自治会費の関連についてのことだけです。) どうも、従来型のコミュニティの「イメージ」だと、行き止まりに早く行き着いてしまいそうな気がし、むしろ、防災的な目的特化型の、「それのみにのみ関わる部分だけ自分の余力を貸す形で協力する」ような、そんなコミュニティ活動を模索してみるわけにはいかないのでしょうか? ここで区切ります。 |
15963:
15536です。
[2022-12-11 01:44:34]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 8 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ============================ (p)適正化指針や標準管理規約の言う「コミュニティ」とは 何を意味し、それはネット時代において「ネオ集会主義」に どう反映されていくのだろうか。(続き) ============================ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ④キャラやアバターがヒントとなって開かれる新たなコミュニ ケーションが、「ネオ集会主義」と結びつく時…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 現代人は1人の人間であっても多面的な存在です。だからこそ、それぞれの側面での対社会活動が増え、ますます忙しくなっているとも言えるでしょう。 それと連動してか、90年代くらいからでしょうか、若者を中心に、自分をキャラ化したり、役割ごとにペルソナを使い分けるコミュニケーションが発達してきています。 マンション管理においても、役割に特化して協力し合う「良き住民としてのキャラ」をそれぞれの個性を活かして演じつつ、それ以外の自分自身のプライベートな生活や仕事その他の社会生活、社会活動とは切り分けるという生活の仕方も、「アリ」ではないでしょうか? 古いコミュニティ・イメージは、どうしても温かい血の通った、「全人格的な」関わりという、ちょっと重たい、現代では非現実的なものを引きずっている気がします。 それに対し、適度に距離がありつつ、参加する際は集中的にエネルギーを投じ、お互いの満足度をひき上げ、真剣かつ楽しい時空間を共有するような、そんなマンションでの活動なら、今までの伝統を背負った「コミュニティ」や「地域共同体」のイメージとは異なる、「今時の」あり方が見つかるかもしれません。 ところで、「コミュニティ」の語は、昨今、インターネット上の集団的な双方向的な関わりの場にも当てはめられており、特定の掲示板やSNS、チャット、ゲーム等に集う者同士の会話や表現の応酬、そこで生まれる感情、感じ方やセンス、考え方の共有により醸し出される一体感、所属感が実体として存在し、関わる者たちがそれに価値を見出し大事にされ、場のコミュニケーションをより深め、日々のネット活動として継続していこうとされており、場の運営が心掛けているような場合にも「コミュニティ」と呼ばれていますね。 みんな仕事その他でいくつものサイトを通した多様な人間関係や、複数のSNSやゲーム等に関わっており、それらの「ネットのコミュニティ」において、それぞれ、上述の「キャラ」として、ネットを通じて関われる「場」に特化した自分の一側面を、そこで出会える他者と共有しているような感覚なのではないでしょうか。 今後、通信の一層の高速化、大容量化により、ネット上のこうしたコミュニティ的な「場」を「町」のようにして複数のアバターを使って社会活動を行うようにしようという世界的なIT政策の方向性とも合致します。 となると、「集会主義」のWeb会議版を積極的に活用していくという「ネオ集会主義」は、近未来的にはネット上の「仮想コミュニティ」で、キャラというか、アバター的な形で管理組合の活動に参加したり、運営を行っていくことに結実していくのかもしれません。 う~ん、そうなると、「ネオ集会主義」がマンションの「コミュニティ形成」と繋がってしまいますね(笑) すでに一度触れているネット・コミュニティの超管理主義という、実は忍び寄りつつあるテリブルな悪寒については、ここでは一旦置いておきw、マンションの総会という事象に即し、ニュートラルな眼差しで捉え返すと、ちょっと、面白い側面が見えてきます。 これまで「集会主義」「総会前合意形成主義」があたかも対立するかのように立ち現れていたわけですが、これは「合意形成への参加の方法と合意の方法」による対立だったと思います。 ところが、Web会議方式による「ネオ集会主義」が登場することで、別の視点が生まれてくるんです。 つまるところ、「リアルタイムの総会時間&空間による合意形成か、タイムラグを含む日常の延長としてのコミュニティの時間&空間による合意形成か」の違いとなるんですよね。 「コミュニティ」の概念も、「ネオ集会主義」だと大幅に拡張されますし、まず、「総会空間≒コミュニティ空間」となります。また、『ドラえもん』の「どこでもドア」的に、コミュニティや地域社会から離れた場所からでも、アクセスしさえすれば、距離はゼロになるため、限りなく空間の拡張性は広がっていきます。 何だか携帯電話やインターネットの黎明期をそれぞれ思い出しますね。懐かしい。 そのアナロジーで考えると、意外と中高年も頑張れそうだ(笑) まだよく把握できていないんですが、仮の形で整理しておきます。 ■集会主義 ・集会(総会) ・対面 ・即時(その場で情報共有し、質疑応答、意見交換、採決) ・空間の共有 ・直接民主主義 ・総会当日でのプレゼンテーションと資料配布の重視 ・理事会も、一つの集会主義の場として入子型に機能させる ■総会前合意形成主義(「善意の~」と付けておきたい気がする。) ・対面&即時的空間も一部使用 (エントランスやイベントでの会話、説明会、意見交換会等) ・非対面空間の比率が高い ・タイムラグあり(事前の情報共有やコミュニケーション) ・非接触での拡大空間(住民アンケート、コミュニティ内掲示板、ポストへの投函等) ※一部、匿名制も活用(アバター的、アンケートを書いてるペルソナの自分等) ・直接民主主義への一部参加(総会への出席、議決権行使書) ・理事会をタスクフォースや「準」代表者会議とみなす「準」間接民主主義(委任状含む) ※アンケートや事前の質問書・意見書の取りまとめと、それを踏まえての議案の素案の 練り直しの主体としての理事会(住民の意見を議会が吸い上げるような形に似る。) ・事前の資料配布(議案書や資料の事前配布等) ■ネオ集会主義 ・総会(集会) ・対面 ・即時 ・非接触での拡大空間の活用(電磁的方法でのアクセス) ・直接民主主義 ・総会当日でのプレゼンテーションと資料配布の重視 ・電磁的方法でのプレゼンテーションと資料の送信、追加資料の表示や共有も併用可 ・理事会も、一つの集会主義の場として入子型に機能させる →※電磁的方法の技術や通信速度と容量の拡大などにより、もっと色々なことができるようになる可能性はあるだろうと思われる。 「集会主義」、「善意の総会前主義」が、それぞれ得意とする方法と苦手とする方法を、「ネオ集会主義」がうまく重ね合わせて乗り越えさせてくれそうな予感も、しないわけではないですね。方法が成熟するまでに、非常に試行錯誤が必要でしょうが。(情報漏洩等の問題もあるので) (どうしてそこまで慎重になるのか? ネット黎明期ほど、はしゃげないんですよ。犬猫にチップ搭載しちゃうのを見たりするとね。) どこまでネットを活用するのか、そこは何とも言えません。 総会主義だからこそ、「場」の揺らぎが起こす奇跡だってあったのです。(いや、ネットでもネットなりにあるけど、まあいいや、まだよくわからん。) ただし、現代多忙社会において「集会主義」のネックだった全国的な出席者の減少傾向や、「声が大きい者が勝つ」「魅力的なプレゼンやセールストークで住民を丸め込んでしまえば見積書が通ってしまう」「出たがり、やりたがりの一部の人の仲間内だけでコミュニティ活動が回っていく」「孤立する個々」「輪番制で議事進行もなかなか慣れない理事会」「議決権行使書だけでいいのか」といった「総会、なり難し」の問題も、「ネオ集会主義」が解決の端緒となってくれるかもしれません。 そのことを示唆してくれるような、ちょっと面白い記事を見つけたので、シェアさせて頂きます。 *「声の大きい人」がオンライン会議を嫌がる訳は…|廣田信子のブログ 2020-09-30 09:00:00 https://ameblo.jp/nobuko-hirota/entry-12628449318.html またもや廣田氏です。この人はバランス感覚があると思われ、色々なトピックをうまく繋いでくれるブログですね。 以下、改行の箇所を変更して抜粋します。 「ある調査によると、『オンラインで商談した場合』と『リアルで商談した場合』では、成約するときに伝えていた情報量に大きな違いがあるとわかりました。 オンラインの場合、成功した商談は失敗した商談の「7倍」情報量が多かったのに対して、リアルの場合は、成功した商談は失敗した商談の「6分の1」しか情報量を伝えていなかったというのです。(略)? つまり、オンラインの場合は、データや証拠など情報が多いほど売れて、リアルの場合は、情報より、その場の雰囲気や営業マンの人柄で売れるということです。?だから、リアルの方法をそのままオンラインに持ち込んでも売れないケースが多いというのです。(略) リアルだと、高圧的な言い方とか、その場の空気に押されて、みんなが黙ってしまうことで、結果、「声の大きい人」の主張が通る…ということが起こってしまいますが、(略)オンラインでは、きちんと判断の材料となる情報を示すことが賛同を得るために重要になってきます。 ですから、事前の準備が重要で、資料も示さず、口頭で自己主張するようなことが通りにくくなります。」 この「ある調査によると」のソースが示されているといいんですが、廣田氏のブログの文体は、どこか寓意的なものになっており、逐一、厳密な引用がされていたりするトーンではないので、ちょっとそこはご了承下さい。 この記事から類推していくと、「集会主義」でも「ネオ集会主義」の主流の?時代になると、当日のプレゼン資料となる議案書や資料、その他の整備にもっと力を入れることが出来るようになり、スライドや画像、動画、ネット情報へその場でアクセスしてスクリーン表示したり、各自のスマフォにもその場で一括送信して手元で追加資料が読めるようになるなどで、合意形成が深まるようになりそうですし、その場でアンケートを取って即時集計も出来るし、質問書や意見書を一枚一枚読まずとも、SNSのスピードで意見交換が可視化されつつ、その場でやりやすくなりそうです。 「総会前合意形成主義」でなければ出来なかったことが、総会の時間内で、同時並行的に情報交換、意見交換出来てしまうということです。 一方、遠隔参加のリテラシー、コミュニケーション・スキルも必要となり、下手に「大きな声が勝つ」的側面はなくなり、議論の仕方も向上するかもしれません。 このような楽観主義的な見地に立てば、「集会主義」をベースに、「総会前主義」での方策も「リアルタイムに」組み込んでいく形で、双方の「いいとこどり」も可能(お花畑だなあ(笑))・・まあ、あまり、これらのことについて、今は追究しないでおきます。 ただ、「集会主義」と「総会前合意主義」の対立が別の形で融合するというか、相両立しあうというかで、新たな次元にシフトするということでしょうか~・・(意味不w) そんな楽しいことを考えるのも悪くはないでしょう。 ただし、だとするなら、なぜ、今、「尖んがった総会前合意形成主義」である「議決権行使書提出主義」と「集会主義」が、まさしくバトルになっているのでしょう? なぜ、水面下で、あたかも侵略でもされるかのように、法や規約等を「読み換えて」までして、マンション管理業界の一部は、「集会主義」を脇へ追いやろうとしているんでしょう? この問題は、「善意の総会前合意形成主義」や、今後の「ネオ集会主義」の展開で、どうにもなる問題ではないと思われます。そんな気がしてます…。 なので、今回の私が予定する「第1章~第3章」の投稿では、この潜在的に不穏な対立を、どう「集会主義」が克服していくかという視点からの思考に、どうしてもならざるを得ないところがあるということは、ご了承ください。 さてここで、「総会前主義」についての結論をさらに固めるために、次の(q)では「少数者、弱者、マイノリティ、多様性」の問題を見ておこうと思います。 というのも、「総会前合意主義」から見たら、「議決権行使書の提出者」がマイノリティ扱いされ、不平等である、ということで、「総会に出れば少数者も意見表明できるメリット」と逆に「総会に出なければ出てこない少数者としてはじかれて終わるデメリット」の側に立たされる人の側からの思いっきりの反撃を喰らうと思うので(笑) でも、それには更なる反撃も予定しておりw、併せて(r)で、関連する条文も見ておこうと思います。それはオーナーではない居住者、「占有者」についてです。 ここで区切ります。 |
15964:
15536です。
[2022-12-11 01:46:32]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 9 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ================================== (q)総会という「場」は未知の何かが到来する可能性のある情報の開放系 であるとするならば、総会前の議論の条件を統一し、それに合わせて総会 での議論を抑制しても、出席したら条件は「必ず」変わってしまうもの。 公平性、平等性は事前には操縦不可能。 ================================== ここで最初に戻って、法や規約では「議題の通知」こそ規定しているものの、「議案書の事前配布」については「普通決議の場合は」規定されていないということについて、「参加の平等性」「議論の公平性」という観点から、もう一度、取り上げておこうと思います。 議案書を事前配布することが区分所有法でも標準管理規約でも定められていないのに、それをするよう義務付けようとする「総会前主義」は、事前に十分に議案についての理解を深めた上での総会参加をと言っていながら、実際は、欠席者に議決権行使書を出させるためこそが目的となっている気がしてなりません。 区分所有法 第39条第2項 「議決権は、書面で、又は代理人によつて行使することができる。」 標準管理規約 第46条第4項 「組合員は、書面又は代理人によって議決権を行使することができる。」 この「書面」で議決権の行使が「できる」というのは、組合員の権利を定めたものです。決して、義務を定めたものではありません。欠席者は議決権行使書を出さねばならないと強行に勧めることは出来ないのです。 もちろん当然の権利があるのだから、それをして然るべきだと「総会前主義者」は言うでしょうが、かと言って、これは書面で議決権の行使をしさえすれば総会に出席しなくてもいいということではない筈です。 議決権の重みとしては、総会に出席して採決に臨む場合も、議決権行使書も、ともに「同様に扱う」というだけで、「どちらの方法でもいい」という「わけではない」のです。 実はこの時点で、賛否の票を投じるという意味での「参加の平等性」は保証されるけれど、「可決、否決」という結果の平等性とは関係ないということがわかります。 そして、参加は平等に出来るけれど、議論の公平性(議案に関する情報が追加されることへの公平性)は、総会にまで出席してこそ得られる権利になる気がするんですよね。 議会制民主主義の選挙における期日前投票とは、事前は事前でも意味が全く違うと思う訳です。何より、総会は直接民主主義なので、票を投じる主体と、決議する当事者が同じですから。 しかし、「総会前主義」が言うように、「議決権行使書提出者への配慮のために総会での新たな議論の展開は抑制し、理事会案についての情報は、議決権行使書が提出された時点となるべく変わらないようにしないと公平性が保てない(【その1】の(b)より抜粋)」というように総会のあり方まで同「主義」によって規制をかけるようなことが行われるようだとしたら、それは議決権行使書提出者への「配慮」ではなくて、むしろ「優遇」になってしまうでしょう。そうなると話が変わってきてしまうと思います。 そうすると、【その1】の廣田信子氏のブログにあった事例②のように、議案のキーパーソン達が、事前の合意形成に安心しきって軒並み議決権行使書を出して欠席してしまうようなことが、他でも起きてしまいそうです。 「総会に無理して出なくてもいいんだよ、もう十分、理事会には話を通してるんだ。その日は本当は用事もあるんだろ? 議決権行使書を出しておけば、キミの意思は届くんだからさ?」 耳元で誰かが・・(笑) 「総会前主義」とは出席者を減じる「総会崩し」になる危なさを孕んでいると、【その1】でも既に指摘しましたが、もう一歩、その傾向が強くなれば、議決権行使書を「出させるため」の方便にもなり得ます。 というか、それが目的で「総会前主義」に走る人もいることは、否めないと思います。 そして、議決権行使書の数が増えれば増えるほど、それは総会での決議に暗黙の力を及ぼすことになります。委任状もそうです。これは、もはや政治的駆け引きと賛否の誘導、管理組合の操縦の世界です。とても公平で民主的な決議になるとは思えません。 しかし、議決権行使書で賛否を表すのは、決議への参加の平等性、議論の公平性だと、「総会前主義」は言うのです。果たしてそうでしょうか? 今一度、廣田信子氏のブログ記事にあった事例②のような、「この総会の前に、もう何年も前から議論をしていて、やっと満足のいく理事会案が皆の力で出来上がったんだから、もう、自分は総会には出席しなくてもいい」という本末転倒が起きたことを思い起こして欲しいのです。 この人達は、「総会前主義」を「暗黙の前提」としていると見做せますね。 そして、総会前に合意形成が「出来ている」のだから、総会なんて追認のセレモニーにしかなりようがないという見方が生まれ、出席しても欠席しても同じ、議決権行使書を出せばそれでいいと考えてしまった。 ところが、総会当日に、総会前には予想できなかったような論点が出現することで、「彼らの予定調和が崩れてしまった」わけです。 総会という「場」の意思は、当日の出席者によって変わるのです。 いくら事前に大方のコンセンサスを得ていようが、「揺らぎ」が生じるものなのです。 オープン・システム(開放系)だからね♪ これは、神秘主義(オカルト)でもなんでもない、物理世界の、自然の神秘です、いや、法則性が明らかにされ切れてないから神秘だって思われてるだけです。 「揺らぎ」って、懐かしいなあ。すでに20世紀の終わり頃には、扇風機などの風の調節に「1/f揺らぎ(1/f noise)」という生物にとって心地良い揺らぎを考慮した商品開発が行われていましたっけ(笑) *1/fゆらぎ|Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/1/fゆらぎ 揺らぎの英語表記が「noise ノイズ」であることからもわかるように、心地良い揺らぎばかりじゃないんですよね、物理世界には色んなノイズが起きている。そう言うもんなんでしょう。 そこで、ノイズが起きないように人為的にコントロールしても(閉鎖系にしようとすること)またそれは1/f揺らぎからズレちゃって不快になっちゃったりする…。 まあ、あくまでここでは厳密な定義ではなく、レトリックとして書いてるんですけどね?(笑) 揺らぎの幅が大きければ、この廣田氏の事例②のような思いもしないことも起きるのです。 「場」に起きる思いもかけない「揺らぎ」が、トラブルや危機なのか、まさに待ちに待ったちょうどいいビンゴ!な事象なのか、あるいは、新しい可能性への扉が開かれることなのか、見方によって変わるでしょうが、私は徹底してこれら全てを「奇跡」のようにポジティブに捉えたいと思ってます。ネガティブに見えるようなことであってもね。 「場」に幸あり、と。 スポーツの試合だとか囲碁将棋などの対局なんかも、そうではないですかに? 音楽のスタジオ録音や映画の撮影なんかもそうでしょうし、舞台なんて言ったらもう・・。 いやいや、朝の目玉焼きの焼き上がりだってそうですな(笑) これは総会に出席した人であってもそうだと思うんですよ。 仮に、総会前にあらかた議案の賛否を決めておいたとしても、出席した当日の「場」の揺らぎから、最初とは逆の判断を下すことになる場合も多いにあり得るということです。 つまり、議決権行使書が提出される時期の「全員の」賛否の判断は、決して固定ではないのです。「総会当日に変わり得るもの」なのです。 総会に出席した人は、そのように賛否の判断を総会前と当日の2度、行うことが出来ますね。チャンスが2度あるわけです。 そして、総会当日という「場」の「開け(開放系だから)」は、そこに居合わせた者にのみ訪れ、かつ、そこに居合わせた者自身が引き起こす契機にさえなり得るでしょう。 これは、物凄いことだと思いますけどね。総会は、議案書に閉じていない。総会で語られる議案には議案書の「外部」との交流がある。(目に見えない気配がやってくる感じ?) やっぱり、オカルトですかねえ?(笑) ところが、議決権行使書を出した人には、賛否の判定を下せるのは「提出」した時点だけ。チャンスは1度でしかないのです。そして、「場」を開くことも、その契機になることも、その恵みを受け取ることも出来ない。 これは、不自由です。そして、圧倒的な不公平です。参加の平等性も危ういですね。 物理的にチャンスが2回か1回かと考えて、少ない方に有利になるように、議決権行使書の提出者の側に「合わせて」賛否の表明は一回だけだとするのが「総会前主義」であり、特にその過激バージョンの「議決権行使書提出主義」なわけでした。(【その1】参照。) だから、この「主義者」の方々は、総会という「場」を閉じよう、「場」を崩そう、とするのではないでしょうか。総会に、「新たな何か」が訪れてしまってはいけないからです。 議決権行使書の締切時という「1回目の」賛否の判断時から見て議案が深まらないように、総会参加者の決議の結果が彼ら自身の総会前の心算と変わらないように、議論を制限し、「場」をコントロールしようとする。 自由を切り捨てて不自由な場に合わせよ、そう言ってるみたいにも聞こえます。総会という「場」に拘束衣を着せてしまうようにも思えます。なんか、こわ~・・。 総会への出席と、総会のその場での議論、そして、決議。これこそが一番、明々白々で、平等であり公平であり、可能性へ「開けている」と自分は思うのですが、違うのでしょうか? 総会で議論をしてしまったら、議決権行使書を出した者が割りを食う、情報量が足りなくて不公平だ、だから総会で議論をしてはいけない、なるべく決議だけにしろ、理解のための説明や確認程度の質疑応答が望ましいと「総会前主義」は言いますが、議論ではなくて「単なる」質疑応答であっても、「情報的に」不公平になるのは同じではないですか? 仮に、総会で「意見」は禁じたとしましょう。 それでも、「質問」は防げません。 議案書に全てが書き尽くされている訳じゃないですし、たとえ書き尽くされていたとしても、読んで理解できたり納得できたりするとも限らず、何らかの質問が出ることは多いでしょう。 また、議決権行使書を出した人には、事前に「質問書(意見はなし)」を出して貰うよう計らったとしましょう。 それでも、議決権行使書提出者は当日は欠席する以上、「事前の質問書への事前回答」しか貰えないわけで、当日、総会の場で他の人から出される質疑やそれらへの回答という情報へのアクセスは、所詮、不可能なわけです。 あるいは、総会では「質問」も禁じたとしましょう。 出席予定者にも、事前に「質問書(意見はなし)」を出して貰いましょう。 「事前の質問書への事前回答」を全員に配布なり掲示なり、しておきましょう。 そうしたら、出席者も議決権行使者も、全員が同じ条件になり・・ません!! これは(o)の「①事前の書面でのやり取りが十分なコミュニケーション足りうるか」で検討済みです。 質問書も回答書も書面です。表現の仕方も統一されないメンバー同士の間で書き言葉だけで十分な相互理解が成り立つとも限らず、誤解や消化不良は防げません。 仮に相互理解に到達したとして、理事会からの回答や、他の人が出した質問とそれへの回答を見て、「更なる質問が湧いてくる」ことも防げません。 この「更なる質問が湧いてくる」ことこそ、「開放系」であることを意味し、すなわち、事前の書面でのコミュニケーションでさえ、誰かの思い通りになんて統御不可能なんですね。 「更なる質問」が脳裏や胸中に浮かんでも、それを発言させずに「質疑応答は、書面交換で一度したから終了ね~」にしてしまったら(閉鎖系)、無理やり民意を抑え込むことにしかならないでしょう。 となれば、全員が十分に納得のいく質疑応答とは、やはり対面の場(総会)でしか行えないと思われるんですよね。総会は、開放系の「場」ですが、対話の応酬の中で漸近的に全員にとって納得の行く解へと進んでいくことが可能です。 そして、質疑応答、意見、それに対する回答。そうした「双方向のコミュニケーション」は、それだけですでに「議論の始まり」です。 議論を抑制しようとしたところで、それは無理です。 質疑応答、意見陳述から遠いところに居る欠席者を基準として、そうした事前の議決権行使書提出段階の情報レベルに総会の議事進行を合わせようとすることが参加の平等、議論の公平だなんて、全く筋が通りません。 そもそも「集会主義」である以上、万障繰り合わせ出席すべき場なのです。 次善の策としての議決権行使書であり、当日の議論に参加できなかった分、割りが悪いのは仕方がないのです。それを了承してこその議決権行使書なのですよ。 一票の重みは同様に扱う(平等)けれど、採決時の判断の根拠となる情報量には差はついてしまう(公平性が担保できない)のは仕方ないよね、ってことです。 欠席者はどうするんだ、議決権行使書提出者はどうするんだと言うのは、「最善に至れなかった次善策」を基準にしろと言って、「最善=出席者による総会」と言う「場」が、より良く運用されるのを妨げようとする「偽善策」にしか、思えないです。 そして、ここで「総会前主義」に対して、とびきりの異議申し立てをいたします!! それは、占有者の意見陳述権です。 賃貸等、オーナーではない別の人がそこに住んでいる(占有者)場合です。 ここで区切ります。 |
15965:
15536です。
[2022-12-11 01:51:15]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 10 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 ================================== (r)占有者の総会出席権と意見陳述権が忘れられがちであること自体が、 「総会前主義」が議決権行使書提出者の権利に過度の焦点を当てており、 他の少数者や弱者を考慮せず、不平等が内包されている証左であること。 ================================== これは、占有者が居住しているマンションに限る案件です。 皆さんのマンションには占有者の方はいらっしゃいますか? え? わからない? そう、実は、意外とわからないものなんです。 全戸が賃貸であるか、そうではなくて、あらかじめ分譲階と賃貸階が分かれてるような物件ででもない限り、基本が分譲のマンションだと、「占有者」がどこかの部屋に居住しているか、それとも全戸がオーナー居住なのか、管理組合の役員だって把握しきれていないことが結構ある筈です。 個人情報を含むため、理事長と管理会社担当者だけが把握しているケースもあるでしょう。 なので、占有者の方の居住って、盲点になりやすいのです。 毎日、ゴミ出しなどで顔を合わせる居住者も、オーナー宅の家族なのか占有者なのかさえ、詳しい話をしてみない限り、お互いに知ることもないでしょう。 ですが、仮に全戸が分譲オーナー宅だったとしても、近い将来、一部が占有者に取って代わられる可能性がないとは言い切れません。 子供の結婚を機に親が引っ越して子供夫婦に住まわせるとか、数年間限定の転勤が決まり、その間は賃貸にしようとか、様々なケースがあるでしょう。 そこで生じる管理上の諸問題は、当事者である占有者の声を聞かなければいけないでしょう。 まず、条文を見てみましょう。 区分所有法 (占有者の意見陳述権) 第四十四条 区分所有者の承諾を得て専有部分を占有する者は、会議の目的たる事項につき利害関係を有する場合には、集会に出席して意見を述べることができる。 2 前項に規定する場合には、集会を招集する者は、第三十五条の規定により招集の通知を発した後遅滞なく、集会の日時、場所及び会議の目的たる事項を建物内の見やすい場所に掲示しなければならない。 標準管理規約 (出席資格) 第45条 組合員のほか、理事会が必要と認めた者は、総会に出席すること ができる。 2 区分所有者の承諾を得て専有部分を占有する者は、会議の目的につき利害関係を有する場合には、総会に出席して意見を述べることができる。こ の場合において、総会に出席して意見を述べようとする者は、あらかじめ 理事長にその旨を通知しなければならない。 駐車場、駐輪場の改修、大規模修繕工事の住民と施工会社とのコミュニケーション、防犯問題(実際に盗難等や未遂の事例が占有者宅周囲で起きた等)ペット可の物件の諸条件等、色々と占有者にも深く関係する事案はあるもので、これらは分譲オーナーだけで総会決議をするわけにはいかないですね。 占有者にとっては、総会こそが自分の意見を言える唯一の場です。ゆえに極めて重要な機会ですね。 占有者の実際の状況について、理事会が事前にどこまで把握できているかもわからないことが多いと思います。専ら、管理会社とオーナーだけが概要を知っているけれど、理事会も総会も通さぬうちに細かい対応が出来ないこともあり、詳細は当事者である占有者から、直接、総会で話してもらうしかないことは、大いにあるでしょう。 オーナーが居住者であるのとは違い、占有者は組合員ではないため、総会前に行われるであろう質問書・意見書等を含む意見交換の機会に参加する資格はありません。(大規模修繕工事の住民説明会には参加が求められますが。) また、組合役員からの事前ヒアリングや質問書・意見書の提出などに応じなければならない義務はありませんし、事前ヒアリング等だけで済まされて、総会での意見陳述を勧められないようなことは、あってはなりません。 組合員で欠席する場合との違いです。組合員なら議決権行使書も出せるし、理事会に質問や意見を出して、事前に回答を得ることも可能であるからです。 何はともあれ、占有者で「利害を有する場合」は、総会に出て意見陳述をする以外、誰にもわかって貰えないんです。それだけでも、不公平な立ち位置に居ます。 のみならず、普段は出席することなどない総会です。自分の周りは全員が分譲オーナーだけ。彼らはマンション管理の基本的な事柄や専門用語も知っており、住んでるそのマンションの事情にもツーカー。そんなところに「借りてきた猫」のようになりそうな占有者。 大規模なマンションだと、出席者も多いでしょうから、心細い中、他の出席者の発言を聞きながら、場違いにならないよう言葉を選びつつ意見を言わなくてはならず、うまく話せなくて議長から「え? よく聞こえないんですが、もう一度言ってくれます?」なんて言われようものなら、悪いことしてるわけでもないのに冷や汗。大の大人だって、いきなりでは、なかなか馴染めない場所かも知れないですね。 (そうじゃなくて、小規模で、カフェの予約ブースのような場所で、「いらっしゃい、今日はよく来てくれましたね~♪」みたいに、いきなりフレンドリーな総会になることも稀にあるかもですが(笑)) そのような占有者も含まれる議題の総会において、出席できずに議決権行使書を出した組合員は、占有者の生の言葉を聞かずに、すなわち、「議案の詳細を把握せずに」議決権を行使してしまったことになるわけですが・・・。 こうしたケースのどこに、平等性、公平性があるんでしょうか? 管理組合員、すなわち分譲オーナーが特権階級で、総会に勝手な理由で欠席しようが議決権行使書の提出が認められて特別扱いされ、占有者は存在を顧みられることもなく、「間借り人」として低く見られている、すなわち、それは潜在的な「差別」でしょう? 今回、私はかなり抑えて書いていますが、相当、怒っております。 どうして議決権行使書の提出者のみが少数者や弱者のように大事に扱われ、そんなに配慮されなくてはならないものでしょうか? そんなふうに、「総会前合意形成主義」だか「議決権行使書提出主義」だか知らないですが、法や規約さえ無視し、おかしなロジックを使って、本当に大事な総会の、より良い運営を蔑ろにしようとするような人達が、このスレッドのみならず、マンション管理情報サイトやマンション管理士のブログにまで蔓延っているということに、途方もなく怒りを覚えております。 ちなみに、廣田信子氏は「議題の通知しか義務じゃない」としっかり言ってるので、「議案書必須」の「議決権行使書提出主義」ではなく、「善意の総会前主義(総会前合意形成主義)だと思われます。 だから、「総会前主義」にも色々な立場があって、「総会前」というのが議決権行使書の提出時期なのか、あるいはもっと前倒しに合意形成をさせる機会を作ろうとするのか、さらにもっと、限りなく前倒しにというか、日常的なコミュニティ活動による住民のコミュニケーションの活性化という「土壌」形成から行おうとするのか、それらは立場のグラデーションみたいになってるんでしょう。 それでも、「総会前主義」は、総会という「場」の力を借りて何とか発言しようとする占有者の存在を「あらかじめ」軽視しているという意味で、すでに「集会主義」からの逸脱ではないでしょうか。そして、それは本当に民主主義と言えるのか・・。 もちろん、私は「総会前主義」の人のことを、ましてや、議決権行使書の提出者を憎んでいるわけではありません(笑) 元々、現代社会のこの多忙で多様な各自の生活状況において、総会に全員が出席できることは珍しいでしょうから、議決権行使書という方法は社会の要請と言えます。 だからと言って、議決権行使書にばかりウエイトを置くわけにはいかないと言っているのです。 ましてや、平等性や公平性を主張し、民主主義だと言うのなら、議決権行使書提出者ばかりが「結果的に」優遇されてしまう懸念には、はっきりと疑問を提示しなくてはと思っているわけです。 平等性、公平性、民主主義の本義という意味だけではありません。 この「占有者の出席権、意見陳述権」から見えてくることは、(q)で述べたように、総会という「場」においてやり取りされる情報の「揺らぎ」と「場の開け」の要素として、占有者からの情報の入出力が生じる(意見陳述と理事会からの回答、他の人から占有者への質疑等々…)ということでもあるのです。 つまり、総会のその場に出てみて、そこで交わされる言葉を聞かないことには、議案の総体が決定的に明らかな形で姿を現さないということの「重要な例」となるということです。 占有者の出席する総会だけが特別なのではなりません。「占有者の出席からも見えてくるように」いかなる議案も、事前の議案書だけに閉じて完結した情報ではない、ということなのです。 よって、総会前の情報と、総会当日の情報では、当然、総会当日の情報の方が「濃い」ことになるわけで、このことにより、総会前と当日では、賛否の判断にさえ違いが生じる可能性を否定できません。 次に、総会前後で、すなわち議決権行使書提出の段階と総会に出席した段階では、賛否の意見が変わってくることについて、見てゆきたいと思います ここで区切ります。 |
15966:
15536です。
[2022-12-11 02:06:51]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 11 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 =================================== (s)議決権行使書と総会の賛否の傾向が逆だった場合、議決権行使書の 提出者の側に合わせるのではなく、「彼らも総会に出席していたなら」 逆の側に立った筈だと見做す、という見解あり。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①総会出席者と議決権行使書提出者の間で賛否が割れることへの対策 についての、第1章からの見解の変化 ②総会出席者は事前に想定していた賛否を当日変更する機会があるが、 議決権行使書提出者にはそれがないという問題 ③「尖んがった総会前主義」、否、「議決権行使書提出主義」は、なぜ ギミックを駆使する傾向があるのか。 ④「集会主義」の場合は、議決権行使書提出者が、もしその場に出席 していたならば、賛否の判断を変える可能性があると考える。 ⑤総会では、組合員同士が議論を行って決議へと進むことが当然であり、 理事会に代わって管理会社等が提案する説明会(質疑応答の場)ではない。 ==================================== ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ①総会出席者と議決権行使書提出者の間で賛否が割れることへの対策 についての、第1章からの見解の変化 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上の(q)(>> 15964)と(r)(>> 15965)で述べたように、議決権行使書において各自が下した賛否の判断が、総会で説明されたり新たに出席者から述べられることになる情報が得られないで下された判断であることは、大いにあり得ます。 その結果、出席者票と議決権行使書の票が割れてしまうことがあり、対応が難しくなります。 ひと月前の、まだ初心者だった私は(今でもそれに毛の生えた程度ですが)第1章の(1)「総会は議論をする場ではないということの根拠を問う」(>>15597)を書きながら、この問題に際し、あるサイトの見解を「検討素材」としました。 それは、総会前に、総会出席予定者も、やむを得ず欠席予定で議決権行使書を提出したいと思っている者も、ともに納得できる情報共有をするために、総会前に住民説明会を開くというものでした。 *組合員にとって重要なことは総会開催前に説明会を開催することが望ましい|マンション管理ノ教科書(編集部) 2021年11月9日 https://www.zenkoku-mankan.org/briefing/ 尚、この記事の「重要なことは」というのは、建て替え決議のように住民説明会を開くことが義務付けられているような重要性という意味ではありません。組合員にとって関心度が高く、総会が紛糾したりしないとも限らない大きめの案件といったイメージで書かれています。(念のため。) 第1章を書いた時点では、「マンション管理ノ教科書編集部」さんは、「議決権行使書提出主義」にならず、住民説明会という、集会主義に「近い」対面の場でのコミュニケーションを模索していることを、私なりにポジティブに捉えたいと考えていました。(そのように書きました。) ただし、こうした説明会は時間的な問題で「常に取れる手段」ではないということで、参考例に留めました。 これは、【その1】の(e)廣田信子氏のブログ事例①で提唱されていた総会前の日頃のコミュニティ活動による合意形成の「工夫」とも重なる意欲的な工夫です。 つまり、今の見地から言うならば、「マンション管理ノ教科書編集部」さんの提唱することは、この「工夫」に限ったとしても、廣田氏の事例①同様に「善意の総会前主義(総会前合意形成主義)」に属するものだろうと判定します。 住民説明会は、直接の出席の場だとはいえ、やはり「集会主義」ではないのです。 今回、【その1】の(e)の③(>>15941)で見たように、説明会は、定義上あくまで説明とそれに対する質疑応答の場であり、説明主体とフロアの立場には、まさしく「段差」があり、対等な立場での議論の場ではありません。(意見交換会と銘打つならまた違うでしょうが。) また、説明会の開催方法に関しては、法や規約で何の規定もないことが問題でもありました。 そして、いくら事前の対策を練ろうとも、議決権行使書提出の時点での議案への賛否と、総会での出席者の賛否の判断がズレてしまうことは、やはり「避け難い」のです。 なぜなら、総会は集会として法や規約で正式に保証された上で、「場」としてもフレキシブルに情報を呼び込めるポテンシャルを持つからです。 だからこそ、「総会前合意形成主義(総会前主義)」は、総会前と総会当日の「情報落差」を限りなく少なくするために、当日の議論を抑制し、「総会は決議の場」ということにしたがるわけです。 ということで、今、この【その2】で(q)(r)まで書き進めてきた時点で、「総会前主義」と「集会主義」の違いが一層はっきりしてきました。 何度も出して恐縮ですが、【その1】(e)廣田信子氏のブログ事例②を通して比較しておきたいと思います。 足掛け3年でほとんど可決間近だったが、賛成者は議決権行使書を提出して欠席。 総会前に十分な情報を得られていない新規入居者が出席して、理事会や旧来からの住人からしたら「想定外の」反対意見が出されて結論が出ず。 採決見送り、次の臨時総会に回す。 ■廣田氏の見解(善意の総会前合意形成主義): 議案書が簡素すぎたのが原因だろう。 →詳細な議案書の作り込みをすることで、新規入居者や新理事にも情報共有が出来れば よかったのでは? ■私15536の見解(集会主義): ・「場」が新しい発想という情報をもたらしたことも原因では? ・新規住人や新理事にも情報が必要だが、情報共有が必要なのは理事会や、 旧来の住人の側もそうだろう。 =彼らは3年間の議論で問題に特化してひたすら取り組んだため、視野狭窄し、 「閉じた思考」になっていた側面があるのではないか? →総会という「場」が呼び込む情報という契機を重視し、キーパーソンは出席し、 総会前の合意形成の手法に頼りすぎない方がいいのでは? 廣田氏と私、15536の違いは、対処すべき時点が総会前なのか総会当日なのかの違いです。とは言え、私は廣田氏に完全に対立するつもりはなく、議案書への詳細の明記も必要だろうと思いますし、現実的には、事前の工夫を全く否定する気はありません。 (ちなみに廣田氏は、議案書は事前配布を前提として同記事を書いているわけではありません。氏は法と規約に則って、事前には議題の通知だけで良いとしています。) そして、廣田氏も私も、総会出席者と議決権行使書提出者の間で賛否が割れるのは、「大きく見るならば」議決権行使書提出者と総会出席者の間で「同じ情報が共有できない」ということは、変わらない論点となろうかと思われました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ②総会出席者は事前に想定していた賛否を当日変更する機会があるが、 議決権行使書提出者にはそれがないという問題 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 賛否の割れ方は、どちらかと言えば、「出席者は賛成、議決権行使書提出者が反対」というよりは、「出席者は反対、議決権行使書が賛成」という場合が多いような気がします。なぜなら、反対だからこそ、わざわざ出席し、質疑したり意見表明しようとするのに対し、賛成なら議決権行使書でいいやと思ってしまいがちなところがあろうからです。 もちろん、議決権行使書提出者で反対が出る場合もあるでしょう。反対する以上、議案を通したくないのですから、議決権行使書による反対票だけでなく、意見書等で理事会に事前に反対理由を伝えておく人もいるかも知れず、かつ、議決権行使書に反対者が出ていたなら、総会出席予定者も反対に回る可能性があり、理事会は総会の前に「誤解が生じてるのかな?」「ちょっと細部を練った方がいいかな?」と保留や再審議をして総会に臨むなどの方策が取れる気がします。 それでも、事前に議案の内容に疑念を持っていた者が総会に出て、十分な説明や質疑応答、意見陳述を受け、事前に抱いていた反対したい気持ちが氷解し、納得して賛同するということはあるでしょう。それで、出席者の多数が賛成になり、めでたく「可決」となるかも知れません。 また、議決権行使書提出者でも反対をした人には、総会で反対票から賛成票へ回った人のようには、「総会で出席者は知ることが出来たことが十分に知れなかった」ため、もはやそれを知る機会も総会当日にはないわけですし、賛否の判断を変える機会もありません。 彼らが少数なら、出席者の賛成票が勝り、可決してしまうことになり、議決権行使書提出者は、自分の意には沿わぬけれど、多数決で決まったのならしょうがないやと諦めざるを得ないことになります。 それでも、後々に総会議事録が配布された時に、「なるほど、こういう話だったのか、それならいいや」と改めて賛同する可能性は残されてはいるでしょうが、総会で語られなかった観点で自分が反対していた場合、議事録を見ても納得できず、未消化なものが残りますね。 一方、事前に反対して出席した者が総会当日に意見が変わらず、反対の立場を固めてしまった場合は、当日の十分な説明や意見陳述を受けた上で、それでも「より明確に」反対する方向へ考えを持っていったことになります。 これは、議案に何らかの問題がある場合だと思われます。 となると、当日の情報を得ることが出来ないまま議決権行使書を提出した人達が賛成していた場合、「総会で知るべきことが十分に知れないでいる」ことに気付かぬまま、賛成をしてしまっていたのかもしれない、というケースも想定できるわけで、これはちょっと問題含みです。 なぜなら、総会の出席者より議決権行使書提出者の方が圧倒的に多ければ、最初から意見を変えることがないままに議決権行使書の多数派が多数決で勝ってしまうため、総会の「場」がNOと判断しているのにも関わらず、問題含みの議案が何の解決もされないまま、可決してしまう事になるからです。 こうした場合は、議長の判断で「採決を見送る」ことになるでしょう。そして、その議長の判断を「場」が承認すれば問題はないと思われます。 これについては、このスレでも似たようなケースを検討する場面がありました。 第1章の予告編(>>15596)で引用させて頂いた発言ですが、スレ主さんのお声だと思われます。その時は、まだここまで私自身がよく考えてなかったので、③として、再度、取り上げさせて頂こうと思います。 ここで区切ります。 |
15967:
15536です。
[2022-12-11 02:13:11]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 12 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 =================================== (s)議決権行使書と総会の賛否の傾向が逆だった場合、議決権行使書の 提出者の側に合わせるのではなく、「彼らも総会に出席していたなら」 逆の側に立った筈だと見做す、という見解あり。 (続き) =================================== ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ③「尖んがった総会前主義」、否、「議決権行使書提出主義」は、 なぜギミックを駆使する傾向があるのか? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー もう、1ヶ月以上前なんですよね、何とも時の経つのが早い。 >>15584 匿名さん 2022/11/06 11:14:42 >>総会は議論する場ではなく、理事会案の賛否を問う場といいましたが、 >>もし、議決権行使書を無視するのなら、それこそ民主主義に反するの >>では ないでしょうか。 >>総会出席者だけで、賛否を問う訳にはいかないでしょう。 >>もし、総会の意見で理事会案がおかしいと思ったら、議長がその議案を >>ペンデイングとして理事会で再検討することにしたらいいと思います。 今の私の視点で読ませて頂くと、15584さんは、上から4行目までの間で、ご自身が「議決権行使書提出主義(尖んがった総会前合意形成主義)」であることを明らかにされておりますね。「議決権行使書を無視すんなよ!」って明らかに書いていらっしゃるわけですから。 そして、この7行全体から読み取れることは、 ・議決権行使書の賛否の傾向と、総会出席者の賛否の傾向が、対立している ・総会出席者の議決権の個数が多く、総会出席者の賛否が採決で通ってしまいそうである ・総会出席者の意見で理事会案に疑義が呈されているので、否決になりそうである ・議決権行使書では賛成多数になっているので、総会出席者の決を取る前に、すでに票が割れていることが分かっている ・こういう場合は議長が保留にして理事会で再検討したら良い。(案) しかし、ちょっと奇妙です。 2行目~4行目だけをカットアップしてみます。 >>もし、議決権行使書を無視するのなら、それこそ民主主義に反するの >>では ないでしょうか。 >>総会出席者だけで、賛否を問う訳にはいかないでしょう。 これだと、15584さんが対話している相手は、「議決権行使書は無視して構わない、総会出席者だけで決議しろ」って書いていたことになりますが、そんな話、誰も書いてないんですよね。自分? 書いてないですよ?(笑) これより前に、どなたかが議決権行使書という制度についての疑義を表明される発言はありましたが、だからと言って、「議決権行使書は無視しろ」なんて、誰も書いてないんです。 なのに、わざわざこのような書き方をなさっているように感じます。 まず、手続き的には、4行目にお書きになられたような「総会出席者だけで、賛否を問う」ということなんぞ、あり得ません。違法です。無効になるでしょう。 だったら、わざわざそんなことをここでお書きになる意味がわかりません。 現在の法と規約に基づいて、出席者の数と同等に議決権行使書と委任状の数も扱い、両者を合わせた総数の中で賛否の多数決で決めるものです。 どのマンションでも「そのように」行われている筈です。 たとえ「集会主義」で総会の「場」を重んじようが、それでも決議に際し、議決権の個数を出席者だけで数えるなんてことは「あり得ません。」 そして、議決権行使書や委任状を含めた議決権の総数の中で、出席者の数が議決される規定以上なら、「総会出席者の賛否」で結果が決まってしまったとしても、違法ではありません。 でも、15584さんは、それに「待った」をかけているわけです。 つまりそれは、出席者の数より議決権行使書の数が圧倒的に少なかったことで、採決の結果が議決権行使書の提出者の意向と反対の結果になってしまった場合、「それは議決権行使書という少数者の意見を無視したことになる!」って、そうおっしゃっているのと同然なんですよね。 もう、そうなったら、議決権行使書だろうが出席者だろうが、少数派になって決議されなかった側(賛否どちらであろうと)は、「無視されたことになる」ってことに、なりますよね? これは、多数決の原理を採用すること自体への異議申し立ての言葉になっていますよね? でも、スレでそういう話をしていたわけじゃ全くない。 なので、この15584さんの言葉は、至極、政治的だと思われます。 以前、第1章の予告編を書いてこの15584さんの発言を引用した時点では、まだ自分、若葉マークを付けたてだったので、そこまで気付けませんでした。少数者が蔑ろにされるのに待ったをかけていらっしゃる、優しさだなと、そんな風に思ったものでした。 というか、15584より前にスレ主さんから、議決権行使書の提出者がいるんだよと「初めて」指摘を受けた時、私自身がよくわかっておらず、自分の中で議決権行使書が「盲点」となっていたため、 「盲点=視界に入れてなかった=透明な存在にしてしまっていた=無視していたに等しいじゃないか!=自分、そんなつもりじゃないのに、そんな差別を知らない間にやっちまってたのかよ!=ご、ごめんなさい~っ!!(哭)」 と、罪悪感でいっぱいになったのです。 なので、「議決権行使書」っていう言葉で、「脅し」をかけられてしまいがちな、まるで「魔法」にかけられたようなところがその頃の自分にはあったんです。 15536のハンドルが書いたものを順を追って見て頂ければわかります。しばし逡巡して、意を決して自分の考えを固めて、第1章、第2章を書き始めたんですから。 その後、眼精疲労と肩こりで、しばらく掲示板から離れている間に、魔法はすっかり解けてしまいましたw。 「少数者の権利」という「錦の御旗」を「揺さぶりの道具」として、ここでは政治的コミュニケーションとして使っていらっしゃったんですね。今頃、わかりましたよw。 なあんだ、ごねていらっしゃったんですね。まるで「言いがかり」じゃないですかw。 揺さぶりというより、強請りに近い。 続く6行目、7行目を見ると、 >>もし、総会の意見で理事会案がおかしいと思ったら、議長がその議案を >>ペンデイングとして理事会で再検討することにしたらいいと思います。 この箇所は、ここだけ見れば客観的な事象としては問題のない文章です。 ですが、前後の文章と「合体技」で考えると、次のようなことが見えてくる。 「総会出席者の傾向」として、議案(理事会案)への反対意見が優勢なら、そのまま採決に持ち込まれたら「理事会案」が否決されてしまうと予測できるからこそ、否決させないように、「待った」をかけているんでしょう? 否決されたら、ジ・エンドです。後がありません。理事会で再検討することさえ、出来ません。また別の理由で別の機会にその議案が再浮上してくる機会があれば、再度「一から」理事会で審議することになるでしょうが、何はともあれ、この時の総会では否決でおしまいなのです。 それを、総会の雰囲気で疑義が出てきたところで、採決は見合わせて、「議長がその議案をペンデイングとして理事会で再検討することにしたらいい」とすることで、「廃案にさせずに」少しでも延命させようとしてるわけ、ですよね? だからこその1行目なんですね。 >>総会は議論する場ではなく、理事会案の賛否を問う場といいましたが、 「例外がある」っておっしゃりたいための前振りですね。 お立場(議決権行使書提者主義=尖んがった総会前合意形成主義)からするならば、さっさと賛否を問うてしまえばいい場面なのを、「そうしたくないケース」もあるのだ、と。 だから「議決権行使書提出者という少数者の尊重」や「民主主義」に託けて、採決に持ち込まないように手を打っておこう、ですかね? 「そこまでして」理事会案を通したいんですか? 「議決権行使書提出者主義=尖んがった総会前合意形成主義」の方々は。やっぱり、政治的な「主義者」なんですかね。 では、逆の場合を想定してみましょう。 すなわち、「出席者は少数で、反対意見に傾いた。一方、大多数である議決権行使書提出者が軒並み賛成票だった」としたらどうするのか。 恐らく15584さんは、法や規約の文言通りに議決権行使書や委任状の1票を、出席者の1票と同等の価値として判断することで、出席者の反対があろうと、決議は「あらかじめ総会前に決まっている」ようなもの、っていう立場でしょう? それとも、「少数の出席者全員が反対でも、過半数を超える議決権行使書大多数が賛成」だった場合でも、上の6行目、7行目と同じ文言、 >>もし、総会の意見で理事会案がおかしいと思ったら、議長がその議案を >>ペンデイングとして理事会で再検討することにしたらいいと思います。 って、そうおっしゃいますか? それなら、もはや文脈は、総会当日の「出席者の反対意見、反対票を無視してはいけない」という話になり、「議決権行使書を無視してはいけない」という話じゃないんですよね。 だから、15584さんの「7行全てがギミック」だったと思うんです。 ここで、「尖んがった総会前合意形成主義(総会前主義)」であるところの「議決権行使書提出主義」について、まとめておきたいと思います。なぜこの「主義者」が「ギミック使い 」なのかが見えてくるように、と…。 ■議決権行使書提出主義(尖んがった総会前合意形成主義)の特徴: ・議案書の事前配布の「義務付け」(違法) →「善意の総会前合意形成主義」を偽装 →「総会前合意形成主義」の日常的な「コミュニティ形成」と連動して活動 →※存在様態としてのギミック性 ・議決権行使書提出者が総会出席者と比べて「不公平に扱われてる」というクレーム =ベースとなるギミックのフレームワーク →民主主義、少数者や弱者の権利という「方便」 →その方便のために総会での議論を廃する方向性の提示 →「総会は議論の場ではなく理事会案の決議の場」 →組合員による総会招集権や、占有者の総会出席権、及び意見陳述権を無視 →動議と、そのための議論が生じる可能性を無視 →議決権行使書提出主義にとって「総会前の合意形成」とは、理事会案に合意させること →※本当にそれは理事会案なのかと問えば、見えてくること(仮説w): 管理会社や関連会社、マンション管理士、コンサル等が自由にやりたいってこと? ちょっと過激に誇張してみることで、その実態が見えやすくなる目的で書いてみました。 これを、どう判断されるかは、読者諸氏に委ねたいと思います。 ここで区切ります。 |
15968:
15536です。
[2022-12-11 02:18:07]
第2章 第3章を書く前に、重要なこと
~集会(総会)に対する見えない侵略は、善意の顔で近付いてくる~ 【その2】会議の目的(議題)を通知せよ、すなわち総会では議論をして決議せよ 13 ※注意!※ この投稿は、あくまで15536の個人的な意見として書いております。 =================================== (s)議決権行使書と総会の賛否の傾向が逆だった場合、議決権行使書の 提出者の側に合わせるのではなく、「彼らも総会に出席していたなら」 逆の側に立った筈だと見做す、という見解あり。 (続き) =================================== ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ④「集会主義」の場合は、議決権行使書提出者が、もしその場に出席 していたならば、賛否の判断を変える可能性があると考える。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここで、「集会主義」の一般的な方法に基づくアドバイスをしている記事を紹介します。 総会当日に「場」が否決に動いたとしても、議決権行使書は賛成票が多かった場合、どうすればいいかを問うています。 *議決権行使書を利用するデメリット|マンションと暮らす カシワバラコーポレーション https://mansionlife.jp/article/mansion-soukai-giketsuken-koushisho#2ab... この記事の面白いところは、議決権行使書を出していた者も、もし「その場にいれば反対していた可能性が高い」ので保留とし、次の総会(臨時総会)で改めて採決を取るのも一つの手であるとしているところです。 やはり、総会の「場」では、賛否を判断するための「十分な情報が得られる」ことが前提と考えられるため、それが得られていなかったからこそ、「議決権行使書を提出した段階では然るべき認識に至ることが叶わなかった」という判定をしているということです。 フライング賛成票、ナンチャッテ賛成票のようになっていたかも知れないぞ、という見解ですね。 「総会前主義」が主張するような、議決権行使書が出された時点の情報から、なるべく情報を変えないように議論を抑えることで平等性を確保しようというのではなく、あくまで「集会主義」に則っての集会での賛否にこそ価値があるのだということです。 「総会前主義」の説くように、議決権行使書の提出段階までに、もし理事会で十分に審議され尽くされ、それが前提の情報として理事会の議事録で共有されており、詳細な議案書の配布がされて、理事会案は組合員にしっかり共有されていると言うのなら、このケースのように総会当日のその場になって、反対票が優勢になることはない筈です。 結局、「事前」にどこまで情報共有が可能かということ自体が、甚だ怪しいと言わざるを得ないでしょう。 議決権行使書における賛否の判断時に合わせて平等性を確保するために、総会で議論して情報を「深めてはいけない」というのは、本末転倒です。 馬鹿馬鹿しいほどに本末転倒です。 でも、マンション管理士はそのように指導しているのでしょうか? あるいは、マンション管理士にそのように語るように業界が指導しているのでしょうか? そこが一番わからないことです。 それで、このスレで問うたのです。問い続けたのです。 総会で議論を深めてはいけないと言うなら、それこそが「言論統制」でしょう。 それをするなら、理事会案の背後に立っている者に利があるだけです。 そしてそれは、組合員と利益相反することは大いにあるでしょう。マンション管理業界が、もしそんなことを率先しているのだとしたら、ただただ地に堕ちるばかりのような気がします。もうかなり堕ちている会社もあるように思うけれど、もっともっと、いや、業界全体が堕ちていくことになりかねないんじゃないでしょうか。 そんなことになるのなら、理事会や組合員のポテンシャルを高めていくことを期待すること自体が、何やら革命にも等しい難題のようにも思えてきます。「そして誰もマンションに住まなくなった」というようなミステリアスな未来も、国土開発の状況次第ではありうるでしょうね(苦笑)もしくは、もっと人の移動が自由な世界になるならば、この国のマンションに住む必要もなくなるのかも(笑) ここでもう一つ面白い事例を紹介しておきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ⑤総会では、組合員同士が議論を行って決議へと進むことが当然であり、 理事会に代わって管理会社等が提案する説明会(質疑応答の場)ではない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 少し詳しく事例を抜粋しておきます。 *【ある「元」大手管理会社取締役つぶやき その46】総会を牛耳る管理会社。何とかならないか。その2|マンション管理組合の学校 2017年11月17日 菅 理(すが さとし) http://schoolformkk.officialblog.jp/archives/52412939.html シリーズの前回の記事へのリンクが「プレヴュー期限切れ」になっていたので、ここでまとめられていた「前回のあらすじ」を、そのまま引用しておくと、 「大規模修繕工事について、総会が開催された。 理事会は管理会社が提案したままに、総会の議案を上程。 組合員からは、問題点を指摘する声、不満の声が上がったようだが、すでに過半数の委任状や議決権行使書が提出されており、何を言っても議決が覆る状況ではなかった様子。 __こんなことが許されるのか。何か手立てはないのか!?」 ということのようで、この状況に対し、記事では、 「残念ながら、総会の場で交わされた議論を承知していない方々が提出した議決権行使書や委任状も、出席者と同じく有効な議決権です。ですから、このような場合議決に持ち込んではならないのです。」 「管理会社は自らの利益のためになんでも強行します。一部の組合員に不満が残っても、適法な手順ですからと強弁で切る(ママ)状況であれば、なおさらです。」 と書かれています。 ぜひ、お読みになって下さい。自分、卒倒しましたよ。 議決により利益を受けることになる会社の親会社社員が出席しており、そんな場で、 「彼らの提案について組合員同士が意見交換していること自体が問題」 であり、組合員の質問に管理会社や当該会社から答えて貰うにせよ、彼らには、 「組合員同士の議論に参加し、意見表明する資格はありません。席を外して貰いましょう。」 キッパリ!(と音がしそう。)とのことです。 「席を外して貰いましょう。」 泣けてきました…。うちなんて、席を外して貰うも何も、議事進行は管理会社、説明は大規模修繕工事担当の建設会社。組合員同士の意見交換なんてあり得ない。全て会社様にご相談申し上げる形で、わからないことを質問してはご回答を頂いて、さっさと採決。 いかにうちの組合が「異常」かは、もはや言うまでもないですが、この事例も読めば読むほどに恐ろしいですよ。要するに、異常なことだらけなんですよ、マンションの総会って。 きっと。この国では・・・。 既に書いたことですが「異常は稀少じゃない」んです! 全国のマンション管理の現場は。 つまり、これは業界的に「異常を孕んでいる」ことになりますよね? そして、「異常」があるからこそ、マンション管理士制度の整備が進んだとか、そういった事情もあったりして? 今、ジャストなう、自分はまさに「その異常」に向けて執筆にハゲんでる最中なんだな(笑) 話を戻して、対策として記事に書かれていたことをまとめると、 ・拙速な判断は禍根を残すと思われる。 ・この場で決議するか、組合員の要望を取りまとめて改めて総会を開催するか、出席組合員だけで賛否を諮るよう理事長(議長)に提案する。 ・議決権行使書や委任状の提出者には、総会で組合員から出された意見を踏まえて、改めて賛否を表明して貰うように提案する。 ・・ふう。 この事例でも採決見送りですね。15584さんの提案もそうだったし、廣田氏の事例②(【その1】(e))でもそうでした。これは法と規約に則った見解として共有されており、その範囲で適正に運用されている方法であると言えるでしょう。 そして、自分が今、この章、節で書いている文脈で、この記事における大事なポイントを抽出してみると(他の文脈なら他の抽出が出来るだろうが、という意味で) ・総会では、組合員「同士」が対等な立場で意見交換し、議論を行うことが、決議に向かってのプロセスとして当然であり前提だということ。 ・管理会社や関連会社、工事請負会社等と、管理組合が向かい合って、プレゼンや説明と質疑応答を行うのは、本来、総会の一部の場面でしかないこと。 ・この事例でも自分のマンションでも、こうした「会社対組合」の、ややもすると立場の上下に近い関係性の中で、あたかも「会社サイドからの説明会」として総会があり、会社サイドの提案を追認することが「決議」と呼ばれていること。 執筆者が、なるほど「集会主義」だと指摘するのは容易いです。ですが、それが当たり前の姿であるはずでしょう? そして、そうした「当たり前」をわざわざこうして「一般向けの」記事にしなければならない理由は、やはり現行では「異常例」が多いということだと思います。 ちなみにこの方は、菅 理(すが さとし)さんとおっしゃり、本名かどうかはわかりませんが、匿名記事ではありません。具体的な経歴はわかりませんが、「某大手管理会社を黎明期から育ててきた」キャリアがおありなのだそうで、この手の肩書きは商売道具(半分は物語)でしょうし、だから何なのだとも思いますが、それでも、記事の内容には非常に読む価値があったと思います。 以上で「総会にとって『議論』とは何か」という主題における二本柱の一つ、「集会主義」に対する「総会前合意形成主義」の出現と浸透という事態について、とりあえず、「ざっくりと」斬ったということにさせて下さい(笑) あと残るは本来の第3章、「総会にとって『議論』とはなにか」だけです。 次のような言葉も聞こえてきますが。 いやいや「総会前合意形成」を「主義」とするほどの話ではなくて、「総会前に、合意形成のために、もっと出来ることはないかというテーマ」で掲示板で話し合ったり、事例を見たり、実際の組合の運営を促したりすることには、大いに意味があるだろう?って。 スレで、どなたかが出ていらして、そうおっしゃるかもしれないところですよね? もちろん、実際に必要な議論だと思います。(何度も書いてるじゃんw) そして、私が書いてきたようなあれやこれやは総会というジャンルのみで、マンション管理の序の口でしょうし、カテゴリとしてはまだまだ色々あるわけです。 特に組合の役員さんや現場で管理を担当されている管理会社さんやマンション管理士さん、コンサルさん、弁護士さん等、ご経験からさまざま問題提起をなさりたいことがおありでしょう。 そうした話を私自身も否定する気は全くないですよ? でも、今は、「総会=集会」における「議論」について考えるという目的で「総会前合意形成主義(総会前主義)」の立場をチェックさせて頂いているわけなのですよ。 「総会前主義を理由に掲げることで総会における「議論」を封じるというのは、危ういぜ?」っていうのが、その目的における結論ってことです。 それだけ確認して、次に進ませてください。 ここで愈々、話をもう一つの柱、というか、よりメインの主題であるところの「議論」の方へ。 ここで区切ります。 |
お久しぶり(^^) (違う方だったらごめんなさいよ?)
フォー♪