【東京サウスゲート計画とは】
正式には[品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン]
JR品川車両基地の縮小により生じた約13haの車両基地跡地の再開発を軸とする都市開発計画。2007年11月に初案が公表されたが、その後の羽田空港の再国際化の進展、JR東海によるリニア中央新幹線計画の公表、そして2014年6月のJR東日本による山手線新駅設置計画の公表などを受け、2014年7月の改定案の公表・パブコメを経て、同年9月[品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014]が策定された。
本スレッドでは、サウスゲート計画に関連するスレッド対象地区として、芝一丁目~五丁目、芝浦1丁目~四丁目、港南1丁目~4丁目、三田三丁目~四丁目、高輪一丁目~四丁目、東品川一丁目~三丁目、北品川一丁目~六丁目、東五反田一丁目~四丁目とする。
【品川駅、田町駅周辺地区まちづくり計画(サウスゲート計画)】
[スレ作成日時]2016-02-25 20:10:19
東京サウスゲート計画<18>
15287:
匿名さん
[2018-08-15 20:26:50]
ネットで調べた後講釈なら何とでも言える。
|
15288:
匿名さん
[2018-08-15 20:31:06]
|
15289:
匿名さん
[2018-08-15 20:33:53]
バブル崩壊の本質はもっと根深いものだったと思いますね。
NTT株が云々程度のミクロ事象で捉えきれる程度のものではとても無かったですね。 |
15290:
匿名さん
[2018-08-15 20:38:04]
|
15291:
匿名さん
[2018-08-15 20:39:17]
あれあれ、おじさん同士で仲間割れ 笑
|
15292:
匿名さん
[2018-08-15 20:41:05]
|
15293:
匿名さん
[2018-08-15 20:43:03]
責任転嫁は良くないですよう。
|
15294:
匿名さん
[2018-08-15 20:57:20]
3公社民営化か、本当に懐かしいですね。
でもその程度のことが、日本の失われた20年の本質ではないと思いますね。 基調には東西冷戦の終結とアジアの興隆があったからだと思われます。 |
15295:
匿名さん
[2018-08-15 20:59:51]
|
15296:
匿名さん
[2018-08-15 21:01:50]
「木を見て森を見ず」の例え有り。
|
|
15297:
匿名さん
[2018-08-15 21:04:48]
なんですか、それ〜
|
15298:
匿名さん
[2018-08-15 21:06:26]
|
15299:
匿名さん
[2018-08-15 21:07:50]
木を見て森を見ず
物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。 |
15300:
匿名さん
[2018-08-15 21:08:07]
初心者マーク、お前が悪い。
|
15301:
匿名さん
[2018-08-15 21:09:45]
浜松町駅発で当時あったカートレインとか良かったよね。
国鉄のおおらかさが懐かしい。 |
15302:
匿名さん
[2018-08-15 21:22:05]
サウスゲートに本社を移した先駆者はソニーだけど、それに続いてこれからは世界の一流企業が品川に集まってきそう。
だから大きなインターナショナルスクールが新駅に必要になってくるのですね! |
15303:
匿名さん
[2018-08-15 22:07:16]
首都圏の新線は貨物線の転用(埼京線、京葉線)など、殆どが国鉄時代の遺産の活用で、
民営化後にゼロから立ち上げたプロジェクトはない。 東急を始めとする私鉄の積極性が目立った20年だけに、そろそろJRにも攻勢に転じて欲しい所だ。 |
15304:
通りがかりさん
[2018-08-15 22:21:32]
>>15303 匿名さん
JR東は首都圏だけじゃない。新幹線延伸もあれば地方路線の維持も必要。投資が分散するからなかなか首都圏への投資に回らない。その中での羽田アクセス線はかなり攻勢に転じたと言えるのではないか。 |
15305:
匿名さん
[2018-08-16 00:06:46]
湘南新宿ラインと上野東京ラインの2大幹線作ったよ。
国鉄時代の資産だろと言われればそうだけどさ。 |
15306:
マンション掲示板さん
[2018-08-16 14:18:20]
>>15302 匿名さん
そういうことです。ずっと前から意味があって、決して偶然では無かったと言うことです。20年前以上も昔から、サウスゲートの位置付け、役割り、東京の刷新ビジョンは、ある程度あったわけで、それは30年前のソニーが(日本そのものが)全盛だったか頃から、後に避けられず迎えねばならぬ少子高齢化、マンパワー型の労働力減少などを既に考慮してて、ハード事業からいち抜けする設計をしていて、その頃からサウスゲートとは共にあったのです。 |