東日本大震災で援助してくれた恩に報いましょう!!
日本がネパールに救助隊の派遣決定、焦る韓国=韓国ネット「日本と比較されてしまう」「やはり日本を超えられない」
Record China 4月27日(月)13時26分配信
2015年4月26日、韓国・聯合ニュースは、日本政府が同日、ネパールで発生した大地震に関連し、国際緊急援隊の救助チーム派遣を決定したと報じた。
安倍首相は25日、ネパールのスシル・コイララ首相に災害支援の用意を表明する慰問の電報を送り、岸田文雄外相もマヘンドラ・バハドゥル・パンディ外相に同じ内容の電報を送った。
[スレ作成日時]2015-04-27 17:10:06
ネパール大地震、犠牲者の人たちへの速やかな支援を求む!!
1:
匿名
[2015-04-28 13:19:03]
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2:
匿名
[2015-04-28 17:05:17]
やっと到着!がんばれ!
日本の国際緊急援助隊、ネパールに到着 朝日新聞デジタル 4月28日(火)15時51分配信 ネパール地震の支援のため、日本の国際緊急援助隊・救助チーム約70人が28日昼、バンコクからの民間機で、カトマンズに到着した。 |
3:
匿名さん
[2015-04-28 19:59:39]
日本じゃなくてよかった〜。
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4:
匿名
[2015-04-30 22:25:35]
韓国は来なくていいってさ。笑
「日本や中国に比べみすぼらしい」と韓国、救助隊追加を発表もネパール政府は「来なくていい」・・韓国ネットは「偏見に満ちた韓国」「国連事務総長の母国なのに…」 FOCUS-ASIA.COM 4月30日(木)14時34分配信 韓国・聯合ニュースは30日、ネパール地震で派遣された韓国の救助隊が、近隣の中国や日本に比べ「とてつもなく規模が小さく、見劣りする」と報じた。韓国外交部は5月1日に追加の人員を送り込むと発表したが、ネパール政府からは「来る必要はない」と断られたという。 記事によると、韓国が派遣した救援隊は10人。韓国の「中央119救助本部」は当初、第1陣として40人を派遣する計画だったが、外交部によって10人に削減されたという。その中には医療スタッフは一人もおらず、人命救助犬の派遣も見送られた。このため、「国連で最高評価を認められるほど」の韓国119国際救助隊の実力が十分に発揮できない状態だという。 近隣国では、中国が震災初期に「大規模なチームと物資を支援」し、日本は約70人を派遣した。これらと比べると韓国チームは「みすぼらしいレベル」で、韓国外交部は29日午後になって医療スタッフなど32人や人命救助犬の追加派遣を発表したが、すでにネパール政府は「事故現場に投入された海外の救助隊は十分であり、もう来なくていい」と国連に伝えていた。 また、仮に韓国が追加派遣をしたとしても、地震からすでに一週間が経過しており、生存者を発見できる可能性は極めて小さい。早期に救援チームを派遣した中国や日本と違って国際社会のスポットを浴びる機会はすでに逃している。 記事は「海外の災害初期に救援チームを派遣することは、人道主義的な責務であるだけでなく、今後の復興事業への参加にも影響を与える」と指摘し、「韓国は救援チーム派遣の『ゴールデンタイム』を逃した」と外交部の対応を批判している。 |
5:
匿名
[2015-05-04 13:22:29]
ネパール大地震で派遣された日本の国際緊急援助隊。東日本大震災で被災地支援に携わった隊員も多く、教訓を生かした懸命の活動が続いている。 《死者7000人超に(5月2日現在)》 ネパールの地震は5月2日、発生から1週間を迎えたが、死傷者の数は依然として増え続けている。ネパール内務省報道官は同日、国内の死者数が7040人に達したことを明らかにした。 「恩返ししたい」日本の支援活動本格化 貧国ながら毛布を提供してくれたネパール 岩手県出身の准看護師、細越隆弘3曹は、東日本大震災の際、アジアの貧国ながら日本に毛布5千枚を提供してくれるなどしたネパールの窮状に、支援活動への参加を申し出た。「助けていただいた分以上にお返ししたい」「被災地での経験を生かしたい」という。 ネパール大地震 「恩返ししたい」日本の援助隊奮闘 震災の教訓生かす 「これからは精神面のケアが重要になる」 福島県出身の医官、竹島幹雄2佐は、2日間の医療活動で「不眠症状の人が多い。これからは精神面のケアが重要になる」と感じた。「不安を訴える人も多いが、笑顔で接して少しでも和らげたい」と精力的に動き回る。 ネパール大地震 「恩返ししたい」日本の援助隊奮闘 震災の教訓生かす 「医者に初めて診てもらった」 首都カトマンズ市内にある最大規模の避難所、ラトナ公園には約2500人の避難者がいるが、これまで医師が来たことがないという。5月1日、テントで生活する女性は薬と湿布をもらい、「医者に初めて診てもらった」と笑顔を見せた。 ネパール大地震 「医者に初めて診てもらった」 日本の支援活動本格化 不調を訴える住民の診察にあたる陸上自衛隊の医官や看護官=1日、ネパール・カトマンズ(早坂洋祐撮影) 首都カトマンズの避難所で、体調不良で集まった人たちを診察する自衛隊の医療援助隊員=1日(共同) 相次ぐ「奇跡」の救出 120時間ぶり少年救出、バターで飢えしのぐ 首都カトマンズで4月30日、ビルのがれきから15歳の少年が地震発生後約120時間ぶりに救出された。少年はビルに入居していたホテルの従業員で、「昼食時に地震が起き、小さな空間を確保し、ギー(バターオイル)2本で飢えをしのいだ」と話した。 ネパール大地震 相次ぐ「奇跡」 がれきの中から女性も救出、15歳少年に続き 地震発生から6日目の4月30日、ネパールの首都カトマンズで、建物のがれきの中から救出された少年(中央)(ロイター) 首都カトマンズでは20代の女性も救出 英BBCによると、カトマンズでは4月30日、20代の女性もがれきの中から救出された。 ネパール大地震 相次ぐ「奇跡」 がれきの中から女性も救出、15歳少年に続き 大地震から6日、崩れた建物から合同救助隊に救出された24歳の女性(中央)=4月30日、カトマンズ(ロイター) 80時間ぶり男性救出、小便飲み水分補給 首都カトマンズで4月28日夜、がれきの中から約80時間ぶりに男性を救出。救出されたリシ・カナルさん(27)は自らの小便を飲んで水分を補給、居場所を知らせるため、がれきを蹴って音を立て、わずかな望みにかけたという。 ネパール大地震 80時間ぶり男性救出 小便飲み水分補給…がれきを蹴り生存知らせる 4月28日、ネパールの首都カトマンズで、倒壊した建物のがれきからフランスの救助隊に助け出された男性(中央)(UPI=共同) 【関連記事】 自分の尿飲み「72時間の壁」を超え生存 専門家「非常事態には有効」 ネパール大地震 発生から1週間、支援に課題多く 食糧不足が深刻、一気に1000人の列 カトマンズ市内では、5月1日までに電気や水などインフラ設備が一部復旧し、回復の兆しもうかがえる。しかし、大きな避難所ではテントの数がさらに膨れ上がっており、食糧を求める千人以上の長蛇の列ができていた。 ネパール大地震 食糧求め1000人の列 発生から1週間 市内中心部の公園で、ネパール陸軍から救援物資を受け取るため長い列を作るテント暮らしの被災者=5月1日、カトマンズ(早坂洋祐撮影) 道路寸断、取り残された地方の** 最多の約2千人が亡くなり、今も約3千人が行方不明となっているシンドパルチョーク地区。幹線道路には岩石が落ちて大型車が通れないため、いくつもの**が支援が届かずに孤立。土砂崩れのため、そっくりなくなった**もあるという。 ネパール大地震 死者数最大、不明いまだ3000人 取り残された** カトマンズから北東へ60キロの中国国境に近いバラビセでは、建物が倒壊するなど大きな被害が出ている=5月2日、ネパール・バラビセ(早坂洋祐撮影) エベレストで死亡の日本人は山方浩さん 録音技師、映画撮影で現地入り エベレストで発生した雪崩に巻き込まれて死亡した日本人は、録音技師の山方浩さん(56)だったことが5月1日、分かった。山方さんは中国の登山隊を描くドキュメンタリー映画撮影のため現地入りし、被害にあったという。 |
6:
匿名
[2015-05-06 11:04:28]
中国等とは違いますね。
ネパール被災者に「助け合いの精神」 東日本大震災同様に略奪や暴動見られず 産経新聞 5月6日(水)7時55分配信 【カトマンズ=天野健作】ネパール大地震は5日で発生から10日を迎えた。食糧事情の悪化が懸念されているが、目立った暴動は起きていない。無人の商店街では略奪も見られず、テント暮らしの被災者は比較的穏やかに過ごす。東日本大震災でも略奪などはほとんどなく、海外から称賛された。ネパール在住の日本人らは「こちらにも助け合いの精神がある」と両国の類似性を語った。 首都カトマンズ最大規模の避難所となったラトナ公園では約2500人がテントで暮らし、毎日、ネパール軍による配給がある。配給のたびに1千人以上の列ができるが、整然と一列に並び、割り込む人もいなければ、支援物資を奪い合うこともない。 テントで暮らす4人家族のダルマラール・サキアさん(44)は「ここに来れば皆さんが助けてくれる。大変ありがたいことだ。皆で分け合えば、なるようになるし、騒いでも仕方がない」と話す。 ネパールに14年間在住する酒卸会社経営、高田英明さん(48)は「持てる者が持てない者に与える助け合いの精神があり、物を奪ったりした人は強く非難され、その社会で生きていけなくなる。輪廻(りんね)転生の宗教的精神もあり、起こったことに対し悔やむのではなく、あっさりと納得するという気質がある」と説明する。 同国在住約20年の日本語教師、坂本みどりさん(64)も「政府の支援に頼るのではなく自ら何とかしようという気概がある」と強調。もともと貧しい国で、インフラも整っていない。半日の停電が当たり前で、不便な生活には慣れているという。豊かさを示す国連の指数で、ネパールは187カ国中145位(2014年版)だ。 カトマンズで医療支援活動に携わる陸上自衛隊の佐藤裕己・2等陸曹(34)は、東日本大震災でも震災直後から約2カ月、被災者の巡回診療をした経験がある。佐藤氏は「被災されたネパール人は、日本人の被災者と同じように結構、表情が明るくて気持ちのよい対応をされる。こちらが逆に元気を分けてもらっている」と話す。 06年のジャワ島中部地震で被災後に略奪や暴力行為が発生するなど、今回のネパール地震と同様レベルの災害では過去、略奪や暴動がニュースになってきた。 ただ、在ネパール日本人会の水橋雄太郎会長(54)=JICA専門員=は「今は無事を親族たちと喜び合うことの方が大事。長期的には、家を失った人や仕事がなくなった人を助けていく必要がある」と継続的な支援の必要性を訴えた。 |
7:
匿名さん
[2015-05-06 15:19:11]
バカマスコミの報道ですから
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8:
匿名
[2015-05-08 21:03:31]
日本のガールスカウトも頑張っていますね。
<ネパール地震>小学校舎無傷、避難所に 日本からの贈り物 毎日新聞 5月8日(金)12時9分配信 ◇15年前、民間支援で建設 【カトマンズ平野光芳】ネパール大地震で大きな被害を受けたカトマンズの近郊にある街サンクーで、15年前に日本の民間支援で建てられた鉄筋コンクリート造りの小学校が、無傷で残った。家を失った被災者の避難所として活用され、人々は「日本からの贈り物で助かった」と口にする。 サンクー小学校(児童87人)は旧校舎が老朽化したため、2000年にガールスカウト東京都第43団(江戸川区)のメンバーらが数百万円の寄付を集め、43団出身でカトマンズ在住の伊勢香さん(52)を通じて新校舎を寄贈。その後も優秀な生徒に奨学金を贈るなど、交流を深めてきた。 サンクーでは、れんが造りの建物が数多く崩壊し、数十人が死亡した。自身も校舎に避難しているゴパル・スレスタ校長(47)は「机の上からパソコンが落ちるほどの揺れだった。頑丈な校舎を造ってもらい感謝している」。被災者のフィロズラズ・スレスタさん(46)も「自宅周辺の家は全て崩れて7人が亡くなったが、学校は残ってくれた」と話す。 伊勢さんは「学校は大人の識字教室にも使われる。サンクーの社会に貢献できる場を残せてうれしい。今後も支援を続けたい」と話している。 |
9:
東森美和
[2015-05-10 21:39:20]
ネパールに大地震なんてないよ、なかったよ
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10:
中国人
[2015-05-10 21:40:11]
ネパールの大地震をお祝います
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11:
匿名
[2015-06-18 03:50:53]
【ご本人様からの依頼により削除しました。管理担当】
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12:
匿名
[2015-06-18 05:32:20]
↑早すぎです。
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13:
匿名
[2017-10-25 10:58:42]
日本の断層も危ない
太平洋側にあるフィリピン海プレートとの境にある〝南海トラフ〟 富士山から海へと繋がっているというが、どうなるのか |
14:
匿名
[2023-05-24 11:06:31]
伊豆諸島、静岡や福島で地震が相次いでいるが大丈夫か
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日本の援助隊、空港大混雑で着陸できず ネパール地震
朝日新聞デジタル 4月28日(火)12時7分配信
大地震に襲われたネパールで各国からの救助隊や救援物資の窓口となる首都カトマンズの国際空港が、混雑のため、航空機の着陸を受け入れきれない状態になっている。日本の国際緊急援助隊が乗った便も27日に着陸できず、28日未明にバンコクへ引き返した。
カトマンズ空港はネパール唯一の国際空港だが、滑走路が1本しかなく手狭なうえ、地震による設備の損傷や職員の被災で、機能がかなり低下している。ネパールへはインドなどからの陸路もあるが、山道で時間がかかるため、空港に物資や人が集中。混雑に拍車をかけている。
空港の到着ロビーには27日、出迎えの人たちが詰めかけていた。しかし、到着するはずの便が次々と遅れ、キャンセルも続出。日本の救助チームが乗るタイ航空便は午後7時ごろ、最終的にバンコクに戻ることがアナウンスされた。
同じ便で来る日本の医師6人を出迎えるはずだったネパールのNGO「CGエデュケーション」の幹部グシャン・グルングさんは「みんな支援を待っている。それなのに入国すらできないとは、どういうことだ」と話した。
国際緊急援助隊の救助チーム70人のほか、多くの国際NGOや朝日新聞記者を含む報道関係者を乗せて満席状態のタイ航空便は、27日朝にバンコクをほぼ定刻通りに出発したが、ネパールの領空に入ると旋回を開始。燃料切れでインドのコルカタの空港に着陸した後、約2時間後に再出発したが、コルカタに引き返した。その後、同便はバンコクに戻り、28日に再びネパールに向かう。
日本の救助チームの山下桂一副団長は「物資を運ぶ軍用機が優先されているようだ。我々は目下、商用機で向かうしか方法はない」と語った。(カトマンズ=貫洞欣寛、バンコク=古谷祐伸)