子供ものびのびできそうかなと思っています。
物件や周辺のこと、いろんな情報が交換できたらと思いますので、
よろしくお願いします。
名称:みどりの森 ICHIKAI
所在地:栃木県芳賀郡市貝町大字市塙4472-67他
交通:真岡鉄道「市塙」駅徒歩38分
事業主:東栄建物株式会社
売主:日本橋土地建物株式会社
総区画:420区画
物件URL:http://www.midorinomori-ichikai.com/
[スレ作成日時]2015-02-15 23:18:33
みどりの森 ICHIKAIってどうでしょうか?
622:
野村、The Native
[2016-08-27 23:59:43]
本日は市貝町の花火大会が予定通り開催されたようである。気温は低めのうえ小雨ばらつく中での開催。私の友人に市民の称号を勝ち得た方がいるがわざわざ遠方より里帰りされ花火見物されたらしいがよからずのコンディションの中果たして楽しめたのか?気にかかるところである。私のようなやや軽い認知症気味の初老男子にもなると昔は楽しみにしていたものに対しての興味が薄れてしまうものだ。一昔前はビールを飲みながら花火をみたいので赤羽の実家に車を止め寿司で炭水化物を補給し赤羽から花火会場まで徒歩だ。花火を堪能し屋台の焼きそばでまた炭水化物を補給しみどりの森ICHIKAIまで徒歩で帰り、炭水化物補給はかなりの馬力を人間に即与える、次の日にはみどりの森Ichikaiから赤羽まで6キロを徒歩で自家用車を取りに行ったものだ。本日はみどりの森ICHIKAIの自宅より窓越しにフィナーレ花火のみを鑑賞。フィナーレの花火は遠くはなれたみどりの森ICHIKAIの自宅からでも圧巻であった。感動感激だ。私の小学生時代の一つ上のnativeの方の作だ。花火は会場近くまで行かねば花火の迫力は感じられない。市貝町花火はすぐ近くまで行けるのである。そのてんでは隅田川花火大会などよりも花火の迫力をはるかに堪能出来る。これは間違いない。市貝町花火の終了とともに今年の夏も終了ということになる。プールも海水浴もスイカも何もなしの夏であった。夜中になるとバイクを乗り回しふと風の温度の変化に夏の終わりを感じていた頃が懐かしい。今ではオートバイは見るだけで身の毛がよだつ。
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625:
野村、、The native、赤羽小、市貝中学、
[2016-08-29 23:24:35]
市貝町花火大会も天候などは満点といかなかったものの大盛況であり美しい花火と屋台のグルメに舌鼓といった感じで来場者の皆様は夏の締めくくりである最後のお祭りを充分にエンジョイされたようである。この市貝町花火大会の会場はかつては市羽中という中学校があった跡地なのである。市貝町という町は南部の市羽村と北部の小貝村が合併して市貝村となり市貝町に昇格したのである。私の記憶では市貝村として合併した後も市羽中学と小貝中学と当時の市貝村には2つの中学校があったようだ。花火大会での屋台がたくさん建ち並ぶあの広い敷地はかつての市羽中学の校庭であったことを私たちは決して忘れてはならない。私が昭和47年に市貝町立赤羽小に入学した当時はまだ大東亜戦争で活躍された元帝国軍人の師がおられた。私が小学校入学と同時に校長として赴任された大崎校長は戦艦長門に戦時中勤務されてた御仁であり師の年齢や校長というポストを思えば師は帝国海軍将校であったことは間違いない。当時はガキだったから何も分からなかったが。当時の小学校は映画に出てくるような木造の校舎であった。ときおり小学校に来訪するパキュームカーのドックンドックンと力強く波打つホースからのあの匂い、そして10時を過ぎると木造給食室から漂う待ち遠しいあの香り。コカ・コーラ、ペプシコーラ、ファンタ、個人商店の多種のサイダー、そんなものがごちそうであった時を経て今や市貝町はあのような立派なお祭りを毎年開催出来る町に発展したのである。native野村、ふと感慨にふけりし晩夏の日である。
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626:
野村、赤羽小卒、昭和56市貝中学卒、
[2016-08-30 21:51:22]
学校の題目でいろいろと私の小学生時代などをなつかしむうちに昭和時代の赤羽小の教室の後ろ側の壁に貼ってある歴史年表を思い出した。日本の歴史や郷土の歴史が載っていたのである。否応なく市貝町と市貝村の歩みを知ることになる。歴史年表の中の刈生田分校や田野辺分校をふと思い出した。先ほどネットで刈生田分校と入れるとなんと検索がヒットしたのである。それがきっかけで市貝町の昭和時代の学校をひもといていくと昭和40年当時には小貝地区にはなんと5つもの小学校が存在していたようだ。小貝中央小、見上小、刈生田分校、田野辺小、文谷小と。ちなみに現在は小貝小のみ。刈生田分校の当時のままの校舎を私が最後に見たのは30年位前か。その頃までは昭和の趣がただよう分校当時のままの建物が地区の公民館として利用されていたようだ。しかし現在ではその建物は取り壊され跡地に公民館が新築されたようで、当時を偲ばせる刈生田分校跡地の石碑が現在ではあるようである。市貝町には一番多いときで赤羽小、市塙小、文谷小、田野辺小、小貝中央小、見上小、刈生田分校と総計7つもの小学校があったのか、おっと忘れていた上根小もあった、ということは8校もの小学校か?現在は市貝町の小学校は3校のみである。なるほどそれならばスクールバスも必要なのであろう。私の小学中学時代はスクールバスはあるにはあったが小貝地区のひ弱な女子生徒ほんの数名のみが利用していたが一般自転車通学の生徒からはバスツウバスツウ呼ばわりされ肩身の狭い思いをしていたようだ。あ、バスツウね、みたいな感じだ。ご興味あられる方は(刈生田分校)で検索されたい。昭和時代のままの木造校舎の写真はないがいい雰囲気の写真が投稿されている。
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627:
購入検討中さん
[2016-08-31 00:06:17]
市貝町の歴史がよくわかりました。
今の市貝中のレベルはどうなんですか? 将来のことを考えると作新が良いですか? 教育問題、気になります。 |
630:
野村
[2016-08-31 12:07:59]
>>627さま、みどりの森ICHIKAIに住まわれるのでしたら義務教育は市貝小学校、市貝中学で充分です。市貝小学校まではみどりの森ICHIKAI内から無料のスクールバスがあります。間違いなく無料、タダです。市貝中学までは自転車で10分程度です。作新には小学校や中学もあるようですね。私の知人には作新の教職員や作新中学の学生もおります。まあ授業料払って有料スクールバス(確か毎月2万?)負担してなおかつ通学片道1時間半もかけて市貝町から通学するのはいかがなものかと私は思いますよ。通学にかける時間のムダ、スクールバスの多大なる負担、意味ないですね。昨今は市貝町にも学習塾もたくさんありますからね。みどりの森ICHIKAI内にはNative Englishiを肌で学べる英語教室も近く開校のようです。これは非常に楽しみですね。
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