ブランズタワー駅前再開発(南千住)
683:
匿名はん
[2008-09-25 11:48:00]
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684:
匿名さん
[2008-09-25 18:59:00]
683さん
情報ありがとうございます。 先日初めて南千住に住むことに決めた者です。南千住の土地柄のことは もちろん少しは知っていましたが、こうした歴史の事実をより詳しく 知った上で、居住できるほうがよかった気がします。 うまく言えない(少しオーバーな)のですが、こうした歴史の上に今の 私たちの生活があることを再認識できた気がして、私にとっては価値ある 新生活になると感じました。 |
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685:
匿名さん
[2008-09-25 21:30:00]
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688:
匿名はん
[2008-09-27 08:53:00]
しかしここはいつまでたっても土地柄の話ばかりだね。
マンション自体の素晴らしい点とかないのかな? |
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690:
サラリーマン
[2008-09-27 12:03:00]
他の南千住のマンションスレはちゃんと真っ当な議論をしてますよ。
土地柄(というか過去の歴史)の話は100レスに1〜2つくらいです。 土地柄の話ばかりなのは仕方ない訳ではなく、このスレ(一部の投稿者?)が 異常なんですよ。 ここは南千住で初の高仕様マンション。 駅から近く、都心からも近く、それらの環境に対して価格は手頃。 南千住駅の西側はもう少し広がりがある再開発になると尚良いと思います。 現状の町並み、環境も、私は好きですけどね。 |
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691:
匿名さん
[2008-09-27 12:06:00]
妬む人が土地柄に固執しているってことは、他に荒らす要因が見つからないってことでは。
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692:
購入検討中さん
[2008-09-27 13:36:00]
そうですね。
個人的にこのマンションで気に入っているのが、天井高。 2.7mあると、多少、部屋が狭くても開放感がある。 さらに上層階でバルコニーがガラスだと、広く見えるし。 圧迫感が少なそうなので、良いと思います。 |
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693:
物件比較中さん
[2008-09-28 03:18:00]
>>692
そのガラスバルコニーの比率が極端に低く、背の高いコンクリートバルコニーがほとんどなので、リビングでソファに座りながら日常となった眺望の変化を楽しむ、というのが無理なんです。 だから私は検討から外しました。 よく「眺望は飽きる」という人がいますが、「眺望は空気なる」という表現が適していると思いますね。 一度タワー構想階の眺望を知ってしまうと、数年経ったから目の前に何も見えなくても関係ない、というわけにはいきません。 |
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694:
匿名はん
[2008-09-28 14:37:00]
今日MR見てきましたが、間取りはMR用の間取りだし、材質や造作もオプションだらけで、何の感動もありませんでした。
ここがこのマンションの売りなんですよというのがまるで伝わってこなかった。 |
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695:
購入検討中さん
[2008-09-30 10:26:00]
物件自体はしっかりしてそう。
東京都マンション環境性能表示もオール三ツ星。 共用設備も余計なものは無いので、将来の管理費用コストも抑えられそうな。 |
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696:
匿名さん
[2008-09-30 12:14:00]
モデルルームがプレミアタイプのみとかありえんよな。
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697:
購入検討中さん
[2008-10-01 23:29:00]
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698:
匿名さん
[2008-10-02 00:47:00]
確かにここのモデルルームは不親切でしたね。
販促物としてはいいのかもしれませんが、検討している部屋の モデルとしてはほとんど何も体験できませんでした。 |
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699:
購入検討中さん
[2008-10-02 09:02:00]
たしかに!
スタンダードの部屋は想像だけで購入は不安・・・。 他のMRを見た経験と図面でしか判断できない。 宝くじのような。ドキドキだね。 |
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700:
匿名はん
[2008-10-02 14:37:00]
案内役の女性もよこに突っ立ってるだけで、こちらの質問にただ答えるだけだったよ。
売りにするような長所が何もないんじゃないの? |
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by 管理担当
こちらは閉鎖されました。 |
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この刑場での刑死者を弔うため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職である弟誉義観(ていよ・ぎかん)が隣接する場所に常行堂を創建した。これが後に南千住回向院となり、現在も橋本左内などの刑死者の墓がある。回向院はその後に常磐線建設の際に線路が敷地中央を通過したために分断され、その際に線路の南側は延命寺として独立し、現在は刑場跡は延命寺内に位置する。1822年(文政5年)、南部藩の臣・相馬大作(下斗米秀之進)がここで処刑されて以後、国事犯の刑死者の死体をここに埋めることになり、橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎等安政の大獄で処刑された志士たちもここに埋葬された。
1741年(寛保元年)には高さ3mほどの首切地蔵が建てられている。
また、1771年(明和8年)にターヘル・アナトミアを手に入れた蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが、解剖図の正確性を確かめるために小塚原刑場において刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合い、図の正確さに感嘆したことは歴史的に有名な出来事。回向院には昭和になりこのことを記念して寄贈された観臓記念碑がある。
明治初期に西欧と対等の人権基準を設ける必要に迫られた新政府によって廃止されたが、創設から廃止までの間に合計で20万人以上の罪人がここで刑を執行されたという(延命寺内掲示板による)。