ブランズ二子玉川【契約者・予定者限定】
1:
契約済みさん
[2013-06-25 23:00:23]
よろしくお願いします!
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2:
匿名さん
[2013-06-26 11:31:35]
ここは先住者(地権者)がいますので
ぜひいろいろ聞かせていただきたいですね。 |
3:
契約済みさん
[2013-07-22 00:41:48]
No.1さん。
こちらこそ、よろしく! 私は建て替え前に20年以上住まいましたが、居心地はたいへんよかったですよ。地権者云々の心配はまったくないと思います。だって、新しく購入された方は、その時点で同じ地権者ですから。いろんな意味で便利だし、多摩川に面しているので、いつもリゾート気分が味わえます。調査によると地盤も比較的強く、浸水も私が住まいした経験からは心配無用(とはいっても自然のことですから保証の限りではありませんが)。きっとお気に召されると思います。 |
4:
匿名さん
[2013-07-23 23:24:53]
決まりました。
どの部屋とは申しませんがよろしくお願いします。 設備関係には精通していますのでTコミュニティーさんに うまく管理していただくと同時に 高いメンテにならないよう見守れたらと思います。 |
5:
匿名さん
[2013-08-03 18:04:13]
多摩川の決壊が今年あたりあるみたいですね。購入したけどずいぶん重い十字架背負ちゃったな。
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6:
匿名さん
[2013-08-04 17:42:05]
だめ?
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7:
匿名さん
[2013-08-04 18:08:10]
でも過去の歴史を見ると結構多摩川って恐ろしいです。
重い十字架を背負いました。 多摩川の洪水の歴史です、やはり魔が多し言う河のいわれが分かりました。 1550(天文19)年 大洪水で伊豆美神社(現・狛江市)流失 1590(天正18)年 大洪水で流路が変わる 1606(慶長11)年 大洪水により、本川中流部左岸の分倍河原旧流路(現・府中市)が現流路に移動したといわれる 1627(寛永 4)年 羽田・川崎水害 1650(慶安 3)年 大洪水で下流右岸川崎水害発生、下流左岸下野毛村(世田谷区)西南で堤防決壊し氾濫、下流左岸羽田で川筋変わる 1685(貞享 2)年 中流部左岸拝島作目村(現・昭島市)が全村壊滅 1694(元禄 7)年 下流右岸川崎南加瀬村(現・川崎市中原区)22町歩水害 1721(享保 6)年 羽村堰決壊 1742(寛保 2)年 昭和用水堰埋まり堤内へ氾濫。 下流部右岸川崎では堤防決壊、下流部左岸六郷用水で取入れ口が壊滅。 他各所で堤防決壊、川通20里の間で、緊急改修を要する場所が110ヵ所に 1766(明和 3)年 多摩川洪水で下流左岸世田谷の井伊領8ヵ村に氾濫 1781(天明元)年 享保以来の大洪水 1786(天明 6)年 江戸大水、多摩川満水、猪方(現・狛江市)の大堤決壊。 1790(寛政 2)年 下流右岸矢ノ口(現・稲城市)・菅村(現・川崎市多摩区)境の堤防決壊、中野島村(多摩区)では人家が流失、登戸下流では床上4尺の浸水 1791(寛政 3)年 8月、多摩川満水、 大津波が起こる。大森村(現・大田区)周辺に被害。 9月、東風大雨で多摩川満水、 道塚村(現・大田区)で田畑冠水などの被害 1809(文化 6)年 多摩川出水、下流左岸堤120間大破(和泉町26間・猪方村30間決壊) 1811(文化 8)年 猪方村(現・狛江市)堤8ヵ所切断。拝島築地村(現・昭島市)では全村流失 1829(文政12)年 洪水で堤防決壊、猪方村(現・狛江市)の玉川万葉歌碑流失 1846(弘化 3)年 6月、中流左岸拝島用水堰より氾濫。 11月多摩川再び出水、下流左岸・猪方村(現・狛江市)堤100間、和泉村(現・狛江市)で決壊 1856(安政 3)年 満水で下流左岸猪方・和泉(現・狛江市)堤切断、一円に水害 1859(安政 6)年 7月、羽村取水堰破壊、玉川上水止まる。 中流部左岸の村々で家が流失 下流部左岸では、和泉村(現・狛江市)堤500間切断され、猪方(現・狛江市)大堤決壊 8月、再び出水し、猪方村堤20間決壊 1868(慶応 4)年 多摩川洪水で下流左岸和泉村(現・狛江市)堤315間決壊 明治時代 1878(明治11)年 六郷橋流失、北見方村(現・川崎市高津区)、諏訪河原村(現・川崎市高津区)の田畑が冠水 八幡塚村(現・大田区)ほか数ヵ村で堤防決壊、羽田村(現・大田区)ほか25ヵ村で水害 1889(明治22)年 暴風雨により多摩川堤防決壊、農作物被害 1894(明治27)年 増水、六郷多摩川堤防内で48戸が床上浸水、六郷村(現・大田区)の堤防内地の耕地で作物被害 1896(明治29)年 河川法制定 1898(明治31)年 出水、調布町(現・調布市)堤決壊。9月、再び多摩川出水、増水し、宿河原取入口大破損 1907(明治40)年 大洪水、各所で堤防決壊、横浜~東京間鉄道不通。被災市町村数は50、川崎町は全町浸水 1910(明治43)年 多摩川下流部、未曾有の大水害。被災市町村数55 大正時代 1913(大正 2)年 台風による増水で六郷、羽田堤防決壊 1914(大正 3)年 早期築堤を求めたアミガサ事件 1915(大正 4)年 代用堤防の有吉堤完成 1917(大正 6)年 洪水と高潮とが重なり被害甚大 1918(大正 7)年 多摩川下流改修工事開始(1934年に完成) 1923(大正12)年 関東大震災により堤防亀裂、沈下陥没 昭和時代 1937(昭和12)年 豪雨による多摩川大洪水 1938(昭和13)年 多摩川大洪水、青梅で家屋流出 1947(昭和22)年 カスリーン台風により多摩川、秋川、浅川で出水 1950(昭和25)年 水害で稲城町(現・稲城市)の押立~矢口決壊 1963(昭和38)年 3度にわたる集中豪雨で野川はじめ未改修部氾濫 1966(昭和41)年 台風4号の豪雨により二ケ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。河川法改正にともない、多摩川一級河川に。 「多摩川水系工事実施基本計画」策定。 1970(昭和45)年 洪水、上河原頭首工流出 1974(昭和49)年 台風16号による狛江水害 1982(昭和57)年 8月、台風10号により、川崎市などで床上・床下浸水163戸ほかの被害 9月、台風18号により、川崎市などで床上・床下浸水60戸ほかの被害 1989(平成元)年 高規格堤防(スーパー堤防)事業始まる 1997(平成 9)年 河川法改正。「治水」「利水」に加え「河川環境」のキーワードが加わる 1999(平成11)年 豪雨により川崎市戸手地先浸水、床上・床下浸水の被害 2000(平成12)年 「多摩川水系河川整備基本方針」が決定 2001(平成13)年 「多摩川水系河川整備計画[直轄管理区間編]」策定 2002(平成14)年 浸水想定区域図公表 あばれ多摩川発見紀行ホームへ |
8:
匿名さん
[2013-08-04 18:16:02]
もともと二子玉川流域は多摩川が氾濫した時の遊水地域として捨て地の土地が戦後のベビーブームで住宅地域になったのが問題です、本来ここ歴史的に多摩川の反乱を吸収する捨て地なんですよ。
歴史に学ばなければなりません。 |
9:
働くママさん
[2013-08-05 03:04:29]
抽選で外れたヒトがいるのですから、十字架とか
いってないでキャンセルされたら? |
10:
匿名
[2013-08-06 19:25:05]
買えない方の僻みですのでスルーしましょう。
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11:
購入検討中さん
[2013-08-17 08:24:29]
僻み?みたいな書き込み多いね!
そんなことより第二期も抽選かな? |
12:
匿名さん
[2013-09-09 03:37:53]
オリンピック決まりましたね♪
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