芦屋市、西宮市の2市内でのお勧めの地区は何所でしょう?
コスト、住み安さ、閑静さ、学区や交通の便等、色々ありますがご意見を。。。。
なお、神戸市、宝塚市、尼崎等はそれぞれの地域厨乱入防止のためスレ対象外です。
[スレ作成日時]2008-01-19 15:20:00
芦屋市、西宮市でのお勧めの地区は何所ですか?
665:
マンコミュファンさん
[2010-01-21 08:09:50]
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666:
マンコミュファンさん
[2010-01-21 08:13:51]
芦屋市でも、戦後は戦前にも増してきわめて流入が活発で宅地・住宅が増加した事を認めていますw
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667:
匿名さん
[2010-01-21 09:10:32]
平成17年で(現在は更に3500世帯以上増加、因みに5年でこの増加は流入主体以外ありえない)
東山町、山手町、朝日ヶ丘、岩園、六麓荘の合計世帯数が5700世帯 そして 阪急以北の合計 9000世帯(うち奥池南奥池奥山が650世帯) 阪急以南の合計 27500世帯(うち埋立地が6200世帯) 戦前は市全体で7900世帯(航空写真を見れば一目瞭然だが、当時の住宅総数の約9割は阪急より南側)。 埋立地や奥池を除外しても、阪急より南で3倍増加、山手で8~9倍以上に世帯数は増加しているが、 山手の世帯数激増に関してはその多くが、戦後の宅地開発と団地・マンションの増加によって行われた事が明白である。 |
668:
匿名さん
[2010-01-21 09:13:54]
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669:
匿名さん
[2010-01-21 09:21:45]
もう一つ認識の違いも有りそうなので付け加えるが
バブル以前の住民は、阪神より南が浜手でJR北が山手 バブル以降の住民は43号線より南が浜で阪急より北が山手と思い込んでる人が多い。 |
670:
匿名さん
[2010-01-21 09:31:54]
>>667インチキばっかり書かないで下記をもう一度読み直せ、
下記は芦屋市のHPから抜粋した人口だから確かです。 No.642 by 匿名さん 2010-01-19 12:46 >>636 無責任なありえないレスが続くが・・・ 芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、 増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。 芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比 ①、昭和 5年(80年前)28404人 38,2% ②、昭和15年(70年前)39138人 52,7% ③、昭和25年(60年前)42951人 57,8% ④、昭和35年(50年前)57050人 76,8% ⑤、平成22年 93631人 ⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人 山手・・・奥山409奥池566奥池南782 埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59 ⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人 |
671:
匿名さん
[2010-01-21 09:56:54]
要するに70年前には存在しなかった埋立地と奥池界隈を除く現在の宅地人口は
70年前にはすでに現在の52,7% に達していた訳で、 ここで持論をぶちまけてる荒らしさんの情報は全くのでたらめ。 |
672:
匿名さん
[2010-01-21 10:48:33]
特に産業を持たない大都市依存型衛星都市は戦後に人口が急増したのは一般的だが、
芦屋の特殊性は下記の比較ででも一目瞭然 豊中市 昭和15年 45,013人 昭和25年 86,203人 昭和35年 199,065人 平成20年 389,534人 芦屋市 昭和15年 39,138人 昭和25年 42,951人 昭和35年 57,050人 平成22年 93,631人 |
673:
匿名さん
[2010-01-21 12:15:49]
芦屋市 国勢調査データ(H17)DID人口密度 11,176(人/km2)
かなり人口密度が高い事がわかる。 他の地域のDID人口密度 札幌市 7,966 横浜市 10,036 さいたま市 9,345 川崎市 9,974 大阪市 11,857 東大阪市 10,355 堺市 7,558 尼崎市 9,295 西宮市 10,849 神戸市 9,536 政令指定都市(平均) 8,089 |
674:
匿名はん
[2010-01-21 12:20:24]
世帯数が激増加したのは、戦前から住んでいた家(昭和5~15年の芦屋市の世帯あたり構成人員が
4.9~5人なので、祖父母と同居が多かった事も考慮すると、平均すれば当時の子供の数は2人台で 一部の裕福な家は確かに子が多かったが、その多くが他の地域と比較して優位に地元に残ったなど という馬鹿げた話はない)の娘や息子が、殆ど芦屋に住んだからだという都合の良いインチキ妄想ですね。 わかりますw |
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675:
匿名はん
[2010-01-21 12:32:16]
世帯が戦前7900から現在40000に増えたのは、戦後猛烈に宅地開発によって
住宅が増えて著しく「流入世帯>流出世帯」の傾向が続いたから。 それ以外に理由などない。 そして世帯あたりの構成人員が55%減少しているから、世帯数の著しい増加(流入世帯>流出世帯)の割には 人口がそれほど増えていないように見えるのは当たり前。 現在の4万世帯のうち埋め立て地と奥池・奥池南・奥山は7000弱だ。除外すると33000世帯。 つまり戦前7900が現在33000に激増している(世帯数300%増加)。 裏が山のうえに一般的な大都市近郊の市町村と比べて市域面積も可住地面積も極端に狭いので、増加の度合いが 少ない(=戦後、宅地開発の限界に達するのが早かった)のは当たり前だが、芦屋市が流入層が少ない、 元から住んでいる住人が多いなどというデマ、インチキ、大ボラの喧伝は失笑もの。 |
676:
匿名さん
[2010-01-21 12:55:28]
どうでもいいけど、人口増加率の定義と計算方法なんて基本中の基本ぐらい理解しとけよw
1960年の人口5.7万が2010年9.35万人に増えている場合、人口増加率は64%、人口の伸びは64%です。 これを39%の人口の伸びなどという人は、小学校の算数からやり直したほうが良いでしょう。 ちなみに芦屋市の人口増加率は、昭和40年代以降も一貫して高く、1980年以降は年にもよるが全国で10~30位以内に入る。ちなみに兵庫県内でここ数年ずっと1~2位に入る。つまり流入世帯が常に多いのが、戦後の芦屋の実情だ。 芦屋市の資料「芦屋市の現況」より > 本市の人口は,昭和45 年から60 年にかけてかなりの勢いで増加し, |
677:
匿名さん
[2010-01-21 13:02:34]
正確に言うと、芦屋市は市域の狭さゆえに大規模な田畑や山林の総面積が少なく、戦後の開発において限界(開発余地のある山林、田畑)に行き当たるのが一般平均よりも早く、巨大規模の住宅開発(計画人口数万人規模の住宅地の複数開発)が行えなかったので、見かけ上の人口の増加はそれほど高くはないが、戦前からの可住地については、猛烈に世帯数が増加し、たえず世帯の流入が活発に続いたというのが真実だ。
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678:
匿名さん
[2010-01-21 13:17:36]
芦屋市の戦前から住宅が存在したエリアが、他の大都市近郊の市町村の既に住宅が存在していた
エリアよりも、開発・流入・世帯数増加率が少なかった時代など存在しない。 それどころか常に開発圧力が高く開発され、猛烈な勢いで流入し続けたのが芦屋。 単に、巨大規模の開発が地勢的に行えなかったので、人口のトータルで見ると 「開発圧力が少なく開発が緩やかだった」と事実とは正反対の錯覚をしやすく、 「現在住人の多くがもともと住んでいた世帯」というトンデモ勘違いをするおっちょこちょいの 大馬鹿さんが出てくるだけ。現実は、埋立地や奥池を除くエリアで世帯数が戦前から300%増加だ。 これは一般的な大都市近郊の他の都市の戦前住宅地よりも露骨に高い数字。 猛烈な流入超過が続いたからこそ起こる数字。 |
679:
匿名さん
[2010-01-21 13:21:49]
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680:
匿名さん
[2010-01-21 13:32:40]
>>673また嘘かw
>芦屋市 国勢調査データ(H17)DID人口密度 11,176(人/km2) 真実は↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E5%B1%8B%E5%B8%82 芦屋市の人口密度5,060人/km² |
681:
匿名さん
[2010-01-21 14:21:55]
普通は都心から20km圏にある郊外都市というのは、戦前の市制施行時で30~100k㎡はあるのが普通だった。
それに対して芦屋は極端に小さく18k㎡しかなく、可住地に至っては7k㎡しかない。 だから芦屋は戦後に猛烈に開発されはしたが、(戦前の町の発展度合いが同規模の周辺都市に対しても、 勝るとも劣らない開発圧力で開発された)、土地不足という物理的限界に行き当たるのが早く、 安定成長期以降の巨大規模のニュータウン開発は行えなかった。 ようは市の人が住む事が可能な面積あたりで、戦後から現在に至るまで限界レベルに近い所まで開発が 行われ世帯数も増加しているが(DID人口密度は大阪市より高いので、限界近い開発が行われたのは明白)、 市域の狭さ・可住地不足ゆえに、大規模な人口の増加をもたらす巨大開発は行えなかった(埋め立てや奥池 エリアの開発が精一杯だった)というのが史実。 総合的に判断せず、人口だけを見ても何も分からない。 S10年の世帯数(≒住戸数) 7890 S40年の世帯数(≒住戸数) 17046 H10年の世帯数(≒住戸数) 30808 H22年の世帯数(≒住戸数) 40000(埋立地・奥池・奥山を除くと33000) これを見て(埋立地・奥池・奥山を除外した戦前から人が住めた町丁で世帯数が300%以上増加)、開発が 緩やかだとか、戦前から家はそんなに増えてないとか言い張るのは頭が湧いてるとしか言えない。 |
682:
匿名さん
[2010-01-21 14:30:44]
>>680
単純人口密度とDID人口密度や可住地人口密度の違いもわからんようなド素人は一から勉強して出直してこい。 都市の開発や発展の度合いを推し量るのに使われるのがDID。 http://s-seireishi.jp/kaigisho200712.htm 芦屋市のDID面積はほぼ市街化区域面積とイコール。 H17年国勢調査値 芦屋市DIDs DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497(+6,008) DID人口密度 11,173(人/k㎡) |
683:
匿名さん
[2010-01-21 14:46:28]
芦屋市の世帯数増加は、戦後、開発により市外からの転入超過がずっと続いたからです。
市内で育った子供の多くが、核家族で市内に移住したからではないです。 こんな基本的な事すら今まで理解していなかったのは、人口だけ見てたからだろうね。 まぁ都市学の常識であるDIDすら知らず、人口増加率の計算方法すら 理解してなかったんだから当然かw オバカさんが出てくるんわけだw |
684:
匿名さん
[2010-01-21 15:12:59]
2005年の統計GISデータ(国勢)
芦屋市 一戸建て 11216世帯(30.5%) 集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%) つまり7割が団地・マンション・社宅・アパート等の住民だ。 これらが戦後に建ったのは1960年代以降が殆どで、集合住宅居住者の殆どが流入者なのは言うまでもない。 一戸建て居住者も過半数以上が、開発された場所や分割された土地に住んでいる流入者だ。 これだけわかりやすいデータがあるのに「芦屋は昔から住んでいる家が多い」ってwwww |
戦前の芦屋はピーク(戦中で減少していた時期ではない)で7000~8000世帯、現在は4万強世帯。
どう見ても戦後から高度成長期にかける爆発的な流入によって世帯が増えたのは明白。
山手、浜手、平地を一切ぬきにしても(現実は阪急以北より浜手のほうが戦前からの家が
多いのは明らかだが)、世帯の増加分は戦前からの家の後継ぎ以外(後継ぎの分は
世帯数は増加しない)の子供世帯の後継ぎ以外が(長男以外の息子だけではなく娘も)、
芦屋に住みついた分などという馬鹿げた妄想が通用するわけがない。
15~20年程度で世帯が倍増するのは、住宅開発による流入以外にはありえない。
単純に、戦後から現在に至る世帯の激増は、戦後の宅の開発と、高度成長期の集合住宅、
マンション、団地、社宅の増加による流入がもらしたもの。