子供は、悪戯が仕事などと言われるけれど、幼児がいると、
壁、床、障子、窓、家具、ソファー
などに、落書きしたり、穴開けたり、壊したり、汚すのですが、
なにか、よい対策ありますか?
ずっと監視するしかないですか?
それとも、汚したら(落書きなど)厳しくしかる などで、
しつけるしかないでしょうか。
紙にしか、やくがきしちゃダメよ、といっても、
だんだん、いろんなとこに書きたい好奇心が出てくるようで、
すこし目を離したすきに、トイレの壁とか扉に
書いてしまいます。
[スレ作成日時]2005-10-08 08:54:00
新築マンションで子育てしてる人
82:
67
[2006-01-24 06:13:00]
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83:
67
[2006-01-24 06:33:00]
「親の権威」には、もう一つの側面があります。それは、親は人生の先輩であり、経験の
豊かな、社会人としての権威「その道の権威」といわれるときの権威…知識、経験、思考等 にすぐれた…としての側面も持っているということです。 子どもが生まれた時点でのいわゆる親の権威は、本当の権力との両方を持っています。 子どもを動かすための力にあふれていますし、子どももその力に容易に反応していきます。 ところが、子どもが成長していくにしたがって、権力の源泉が少なく、小さくなっていって しまいます。そこで親は、権力…アメとムチに頼って子どもを動かそうとそても出来なくなります。 いわゆる「親の権威」がきかなくなったかのような現象がおこってきます。しかし、親の権威の もう一つの側面である、その道の権威と言われるときなどに使われる、権威…本人よりも 相手が感じるもの…は、子どもの成長とともに消えていくものではありません。 逆に、子どもが成長するにしたがって親の姿が見えてくるにつれて大きくなっていく性質のものです。 その意味で親の権威というときに、権力にばかり頼っていたのでは、いずれは親の権威はなくなって しまうことになります。権力に頼れるときであっても、もう一つの側面である本当の権威のもてる 親でいられるために、親自身が自分を磨いていくことが大切になってきます。 本当の親の権威は、単にことばで子どもを動かすことではなく、親の生きざまに裏打ちされた 親から子への働きかけの中から生まれてきます。親の権威は、親が子に要求するものではなく、 子が親の中に認めていくものなのです。子に権威を認めさせられるものを親が持っていることが、 親の権威の源泉であり、それこそが親の生きかたということになるでしょう。 …続けての長文失礼いたしました。 私も毎日失敗の連続で悪戦苦闘しております。前文にあるような立派なことは出来ていませんが 少なくとも指針としてそれらを踏まえて、自分の力で生き抜く優しい子どもに育って欲しいと 考えます。 |
84:
74
[2006-01-24 10:08:00]
67さん、あなたは幼い頃、虐待のような親子関係があったのですね?そんなあなたには私の考え方はあまりに無責任にとられたかもしれません。あなたは叩かれて育ったからそのいたみがわかるのでしょう。「親が子を叩く」どこからが虐待の域に入るのか…私はあなたがかわいそうです。あなたは一生懸命いい子育てをしようと頑張っているんですね。ご主人は話を聞いてくれますか?心を許せる友達はいますか?あまりに子供と向き合いすぎていませんか?みんな自己嫌悪になりながら子育てしてると思いますよ。無理は禁物です。私の思い込みが過ぎたらお許しくださいね。
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85:
匿名さん
[2006-01-24 10:22:00]
自分があったからって、何でもかんでも他人も一緒にするのは、妄想だと思いますよ。
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86:
新築マンション住まいじゃないけど
[2006-01-24 11:00:00]
最初からスレッドタイトルと内容がかみ合ってないな〜と思ってました。
水を差してごめんなさい。続けてください。 |
87:
匿名さん
[2006-01-24 11:23:00]
それにしても朝の5時過ぎから1時間半も長々と書き込みしている67さんってどんな人よ?
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88:
匿名さん
[2006-01-24 13:17:00]
私もびっくり。読んでて頭でっかちだなぁ〜って思った。
私は頭で子育てするより、身体で子育てしていきたいよ 子育てについていろんな著名人が本を書いてるけど、なるほどと思うところもあるが 67さんのようにそこにどっぷり浸るのもかえって自分を追い詰めているような気がする。 もっと楽にかっこ悪いけど楽〜な子育てでいいんだ私は。 |
89:
67
[2006-01-24 13:23:00]
>87
朝、小学生の娘から 「今日、授業参観、1時間目に来て!」 「え”っ〜!!今日授業参観?!」 …かくして朝から会社に「授業参観で遅れます」と連絡する、 社会人としても親としてもダメダメな人間です。 あまりに体罰肯定の方が多くてつい連打してしまいました。 甚だしいスレ違い、大変失礼致しました。 >74さん ありがとうございます。確かに叩かれて育ちましたが、虐待といえるものではなかったでしょう。 ただ飲み物をこぼせば叩く、泣き止まないと叩くといった具合で、教育上叩かなければいけない 理由など一切なく親の都合、感情の捌け口として叩かれていたので理不尽な思いでいました。 そんな思いを子供にはさせたくないと思っています。 |
90:
匿名さん
[2006-01-24 19:30:00]
わたしは条件付で叩くのは肯定派です。
叩く場所はおでこと手の甲とお尻のみ。 それ以外の場所を叩いたり、連続で2回以上叩いたりは絶対しません。 叩く理由は火傷や事故を防ぐためや物(食べ物)を粗末に扱わないということを覚えさせるため。 わざとでなければ不注意で飲み物をこぼしても、叩いたりはしません。 泣き止まないからたたくなんてこともありません。 わたしは子どものころ母親に「お尻出しなさい!」と言われた後、叩かれてました。 でも一度も顔や頭は叩かれたことはなかったです。 叩かれても、叩かれて当然だと自分自身納得できるときにしか叩かれた記憶はありません。 父親には一度も叩かれたことはなかったです。 >67さん わたしにとっては感情の捌け口で、感情にまかせて子どもを叩くことは虐待の部類です。 それを虐待ではないと親に思い込まされてしまった67さんが可哀想だと思います。 辛い思いをなさったのですね。 |
91:
74
[2006-01-24 19:37:00]
決して「体罰肯定」ではないですよ〜。ただ「叩く」事の悪影響についてあまり神経質にならなくても…位の気持ちでした。そして愛情のある親子関係ならではという事です。他の方の子育て論を中傷するつもりはありません。私は家庭がやすらぎの場であるよう努力していきます。
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92:
67
[2006-01-25 00:39:00]
>90さんへ
子どもはいたいけなまでに親をかばいます。どんなに理不尽なことでも自分を愛するがゆえと変換して 思わなければ自分の存在する意味がなくなるのです。 それだけ子どもにとって、特に幼児期は親は絶大なる…全て…宇宙なのです。 90さんはまだご自身でお気づきでいらっしゃらいないのでしょう。 >わたしにとっては感情の捌け口で、感情にまかせて子どもを叩くことは虐待の部類です。 >それを虐待ではないと親に思い込まされてしまった67さんが可哀想だと思います。 >辛い思いをなさったのですね。 私に同情して下さいますが、私は90さんに全く同じく >叩かれても、叩かれて当然だと自分自身納得できるときにしか叩かれた記憶はありません。 >それを虐待ではないと親に思い込まされてしまった90さんが可哀想だと思います。 …と思うのです。 「感情の捌け口」と判断したのはおとなになってからの私です。 当時は従順に…自分が駄目だから当然と思っていました。 体罰を受けてもスレ「80」で記述したように子どもの気質によってその感じ方は様々です。 私は9、従順 から 2、怒り、敵意 となり、親となった今、その頃の思いを自分の子ども には体験させたくないと、親の言動を反面教師として当時を振り返ります。 お蔭様で生まれ持った反抗的な気質からこうなったのかもしれません。 90さんは反抗することを知らない素直で従順な気質から、いまだ親御さんの呪縛から解けないで いらっしゃるのではないでしょうか…。 それは意識的にやめようと思わない限り、代々受け継がれていきます。 危険や躾…叩かなくとも子どもは親の思いをしっかり受け止めてくれますよ! …多少忍耐も必要かも知れませんが… 74さんへ 仰るとおりです。愛情ある親子関係の中でちょっとした体罰は、それを思い悩むことより 建設的に未来を考えた方が健全であると思います。 ただ当然ですが各人育った環境が違い、一概に親子間で愛情を感じていたかは計り知れませんので 一様に考えるのは難しい側面はあるかと思います。 愛情を双方で分かり合っている親子関係であれば、ちょっとした叩くという行為がそれほど 影響されないことでも、そうでない親子では亀裂を生んでいくのです。 強者である親が例外であっても「叩く」という行為を正当化するのは危険です。 (お気持ちのお優しい74さんをここまで道連れにしてすみません) |
93:
匿名さん
[2006-01-25 01:20:00]
大きくなってから、幼少時に叩かれたことが虐待としてトラウマ化する場合、
親がどういう考えで叩いたかということはあまり関係ありません。 >>90さんのおっしゃるように、 >>感情の捌け口で、感情にまかせて子どもを叩くことは虐待 というのはたしかだと思いますが、 感情にまかせなくても、 ある程度大きくなってからそれが虐待として遡及的に子に受け取られることも多いということです。 それから叩く部位についてのご意見もありましたが、 顔を叩くかお尻を叩くかといったことは、 子に虐待として受け止められるかどうかということとはまったく関係ありません。 子育ての一環として、同性の親が子供を納得させるようなしかたでお尻を叩いたとしても、 思春期のころになって、それが性的な虐待をともなった暴力と子供に受け止められる場合もあります。 つまり親がどういう気持ちで叩いたとしても、 それは子供にとって虐待として心に刻印される可能性があります。 叩いても将来に傷を残す虐待にはならない場合もあれば、 将来に傷を残すような虐待になる場合もあるということなのですが、 それは親が子供を叩く際の感情や思考とはあまりつながりがないということでもあります。 なのでやはり叩くべきではないと思いますが、 重要なのは、子供を叩くか叩かないか、 あるいは叩くならどの部位かといったことよりも、 むしろ子供の両親の関係性のほうが、幼児虐待には関係が深いので、 まずは子供の前では夫婦喧嘩をしないことのほうが大事だと思います。 |
94:
匿名さん
[2006-01-25 07:24:00]
私が、幼児期に叩かれたことを覚えているのは1回だけです。
覚えているのは、自分に非がないのに、叩かれた時にこと、 母が忙しく、すごくイライラしている状態の時、話しかけたのだと 今はわかります。子供の時はわからず、思い出すと悲しいおもいをしていました。 かなり、きかん坊だったので、他にも叩かれていると思うのですが、 自分が悪いとわかったことで叩かれたことは、覚えていません。 |
95:
匿名さん
[2006-01-25 09:34:00]
夫婦仲がいいのが、最大の子供の見本になりますね。
家庭内離婚状態は、最悪ですね。 |
96:
74
[2006-01-25 10:00:00]
私も健全な子育てをするためには両親の仲が良い事が一番と考えます。各事情により一人親のご家庭もあるかと思いますが…そして子育てをしている親の心が満たされている事。特に子育てを一手に担っているといろいろストレスもたまるでしょうが、こどもの寝顔に癒されたり、子供の優しさに癒されたり、自分は幸せだと感じる気持ち。そんな中で子育てをしたいです。そうは思っても、愛情は一方通行だったりします。「愛情のある親子関係ならちょっと叩いても問題はない」と書いてしまいましたが、愛情なんて目に見えないもの。子供に伝わっているかなんてわからない。67さんのように心に傷が残るほど叩かれたとしても叩いた側にはそれなりの愛情があったのでしょう。親子関係はその家庭によって違うもの。自分で築いていくしかありません。試行錯誤しながらでいいと思います。67さんに言いたいのは自分を否定せず、笑顔で子育てしていけるといいね!という事です。
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97:
90
[2006-01-25 12:14:00]
>叩かれても、叩かれて当然だと自分自身納得できるときにしか叩かれた記憶はありません。
とわたしが書いたことで74さんになんだか相当の回数、母親に叩かれたことがあるかのように 解釈されてしまったようなので一言つけくわえておきますが わたしが叩かれたのは年に一回、あるかないかです。 具体的には、一番最近、といっても中学1〜2年の頃だったと思いますが 何か言い合いになって親を「ばっかじゃないの!?」と罵ったときと 小学生の頃「くそばばあ!」と面と向かっていったときくらいですかね? 後はお行儀が悪いとき、枕にお尻をおいて座っていたとき、股を開いて椅子に腰掛けていたとき そんな程度で。 良く分かりませんがわたしと母は相変わらず仲が良くで毎日電話でたわいもない おしゃべりをしているくらいなので親子関係は良好だと思います。 わたしも自分の子どもとこんな関係を築けたらいいなと思ってます。 |
98:
74
[2006-01-25 20:48:00]
96の内容は67さんへ感じたことです。90さんへではありませんから念のため…
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99:
90
[2006-01-25 21:04:00]
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100:
67
[2006-01-27 06:41:00]
90さんへ
仲がよいのは何よりですね。 私も今では仲は良いですよ。 一時期、みんな吐き出しました。(笑) 「夜中咳が止まらなくて辛いとき、なんて言った?ウルサイ!って言ったよね?!」 「自分のこと思ってもらえてるのか不安でたまらなくって、何で私を育ててるの?! って聞いたとき、義務だから!って言ったよね?!…愛してるからって聞きたかったのに!」 「保育所にいつも朝一番に置いていかれて寂しさから泣いてるのに泣き止み!って言って叩いたよね?!」 「あんたを生んだから栄養分とられて歯が悪くなったっていつも言ってたよね?!…まるで生まれて ほしくなかったみたいに!」 …母親は見事なくらいひとつも覚えていませんでしたね。 唖然として聞いていました。ですが母も悪気があったわけでなく、母もあまり愛情豊かに育てられた わけではないので、愛情の表し方を知らなかったのでしょう。 …母は耳が悪いのですが、乳児期、泣き止まないからといって、耳にポマードを入れて それに火を付け「ポン!」と言う音でびっくりして泣き止ませられていたと本人が言っていました。 …信じられない話ですが… 私はこの連鎖を断ち切らなければいけないのです。 意識しないと自分も叩かれて育っていますので、すぐ手が出そうになっていました。 ですから体罰に敏感なのかもしれません。 私の親は感情的に任せて叩いていましたが、叩くことに躾という意味を持たせることのほうが やっかいだと思いますよ。まさに子供を支配することですから… 74さんへ 育児楽しんでいますよ!小2の娘と年長の息子ですが、まぁ、色々あります! 先日息子が保育園で鉄棒に顔面を強打して唇を切り、目をはらして帰ってきました。 翌朝、顔半分がはれあがって鏡を見て「違う人みたい…」と感動していました。 「ほんまやね!違う人みたいやね!」と言うと「誰みたい?!」と聞かれ、 「だっ…誰って…」と答えに困っていると「たくと君みたい?!」 …アッ!ちょっと似てる…と心の中で賛同しながらも「そりゃ、たくと君に失礼やろ〜!」 こんな顔はそうないと記念に携帯で写真を撮ろうとすると、「パパにもう撮ってもらったで!」 …パパも自分の子どもの不幸を笑いもんにして…不謹慎な…と思いながら 私もはれあがった顔を待受け画面にして、話のネタにしています。 …これも息子は傷ついてるかなぁ… |
101:
74
[2006-01-27 09:35:00]
67さんへ 「躾」を言い訳に体罰を与えるのは最低です。あなたの仰る通り。67さんも「自分が叩かれたから手が出そうになる」と言うのも酷な言い方ですが、言い訳です。私にはそれが自分を否定する事に思えるのです。あなたは心の痛みを十分知っている。67さんはあなたのお母さんとは違うんですよ。大丈夫ですよ。私にも今4年生と、同じく年長の男の子がいます。お互い頑張りましょう! |
「親は人生の先輩」 〜近藤千恵「親の心がしっかり伝わっていますか」〜
ほめて、すかして、なだめて、おどして、子どもを親の思うように動かそうすることは、
子どもが親を尊敬し、信頼するがゆえに親の言うことを聞くのではなく、親がいわば
権力をもって子どもに言うことを聞かせようとすることであり、本当の権威ではありません。
いわゆる「親の権威」という言葉には、実は、権力という意味と、権威と言う意味が両方
含まれています。親としての「権力」は、子どもに賞罰を与えていく力です。
子どもを褒めたり、アメを与えたり、罰としてアメを取り上げたり、押入れに入れたり、
小遣いを少なくしたり等等、子どもの年齢に合わせた「アメ」と「ムチ」を使いながら、
子どもを親の意見に従わせていく力です。
ときには子どもの意志に反して何かを押し付けられる力なのです。しかし、この力の
源泉は、子どもの成長に応じて変化していかざるを得ません。
三歳の子どもには「アメ」や「ムチ」が力を持ったかもしれません。しかし、17歳の
子どもには、それは大きな力を発揮えきないでしょう。かわりにバイクとか他のモノが
力をもてきていることでしょう。
そして、物を買うための実力を、子どもが自分で働くという形で見につけたときには、
もはや、親の経済力では子どもを動かすことは出来なくなるときがきます。どんな「アメ」も
「ムチ」も、子どもにとってはそれほど「アメ」でもなく「ムチ」でもないときが、
いずれきてしまうのです。すなわち、「親の権威」の中の権力部分は有効で
なくなっていくものなのです。
「親の権威」には、もう一つの側面があります。それは、親は人生の先輩であり、経験の
豊かな、社会人としての権威「その道の権威