いじめ問題
782:
ままん侍
[2006-12-25 23:04:00]
|
783:
匿名さん
[2006-12-25 23:32:00]
>ですがそれができるのなら罰則など
>いらないのではないかと言っているのです。 これは良くわかりません。個別に教育が必要だったら個別にしなくちゃできませんよ? 出校停止させなくて、逆にどうやってできるのです? どうせ個別にするのなら、昨日までいじめていた子がいる同じ学校にわざわざ行かなくてもいいじゃないですか。 登校中や休み時間にもまたいじめをしないとも限りませんよ? 問題多い子ほど教育に時間がかかるんですよね? いじめられっ子に負担をかけつつ、教育するというのは納得できかねます。 他に手段があるんですから。 また罰則だけに終わらずというのが良くわかりませんが、その罰則というのは何のことですか? 教育のない罰則なんていうほうが本来はおかしい言い方です。 |
784:
匿名さん
[2006-12-25 23:43:00]
出校停止の間、何をするか、それが問題だということですか?
その何というのもガイドラインでももうければいいんじゃないでしょうかね。 ただ、いじめっ子の問題自体様々なのだから、それを一律に定めることはむしろ逆効果だと思います。 また大半は出校停止という処分だけでも効果はあがる子供達かもしれません。 (いじめは悪いことだと自覚する。何がいじめになるのか理解する。これくらいのことでいじめをしなくなる子供もいるでしょう。) 子供達全員にアンケートだかととってカウンセラーも置くことになったんでしたよね? それくらいやる気になれば、特に問題のある少数のいじめっ子にも相応の処置をとることもできるのではないかと思います。 少なくとも、何もしないよりはずっとましだし、やってみないで出来ない可能性を言うよりやってみたほうがずっと良いと思う。 いじめられっ子が学校を休むよりずっと根本的解決に近いと私は思います。 (いじめられっ子の転校も、一つの策としては良いと思いますが、それだけでは片手落ち) |
785:
756
[2006-12-25 23:53:00]
>>782
>その通りです。私もそう言っているつもりです。 失礼ながら、私にはそうは読み取れませんでした。 罰せられる子供に「考える力」が有るのなら罰など要らない・・・・ そういう意味で仰っているのでしょうか。 では、「罰せられた意味が理解できない子供」や 「意味は理解できても罪を罪として捉えられない子供」には 罰など与える必要がない、という事になるのでしょうか。 あなたの御意見だと、その代わりに「教える」という事で対応すべきだと いう事になるようですが、その「教え方」とは具体的に何なのかという事が 問題になっているのだと思います。 「制度」が一過性のものに終わってしまう、と危惧するのであれば その制度の内容や運用の仕方に気を配れば良い。 出校停止というやり方だって、やれば自動的にうまくいくというものではなく ディテールの部分で気をつける必要がある。 どんなルールだって無視したり悪用したりしてしまえば、本来の効力を 発揮できないものですからね。 しかし、「上手に使いこなせないかも知れないから」、という理由で ルールを作ろうという動きを根こそぎ否定してしまうのは何故ですか? 私にはそこがまるで解りません。 >いじめっ子の学ぶ権利を奪ってどうする?!って思います。 >そういう子ほど、学ばなければならないと思います。 罪を犯した者が罰を受けず、いつも通りに学校へ行く。 ・・・・そこで一体、何を学ぶんでしょうか。 私は別に、いじめっ子は永久に学校へ来なくて良い、とか 隔離して他の子と違う扱いをすれば良い、と言っているのではありませんよ。 自分が犯してしまった重大な過ちに気付くには、何らかのきっかけが 必要な筈です。 「罰」とは、そのきっかけとして扱うべきだと言っているつもりです。 |
786:
匿名さん
[2006-12-25 23:54:00]
ちょっとずれますが、刑務所でも鞭打っているわけじゃないですよねえ・・。
規律のある生活をさせて、何が悪かったか、社会にでるには何が必要か、欠けているものは何なのかを教育しているんですよね。 個別のフォローも当たり前だし、話を聞いて、出たあとにも保護観察者がつくんですよね? 重い罪を犯したものほどこういった教育をしてもらっているはずです。 ここで罰が良くないという人は罰というのは駐車違反のようにお金ですむようなものしか知らないのではとふと思ってしまいました。 ま、それだって飲酒運転のように罰則が重くなり社会で騒いでいるおかげで、飲酒運転に対する意識がかなり浸透してきているような例もあります。 |
787:
匿名さん
[2006-12-25 23:54:00]
あっち行けば?こっち行けば?といろんな方角をキョロキョロしながら
足踏みばかりで前に進もうとしない・・・これが日本の悪いところだと思います。 いろいろやってみればいいのに。全ての子どもたちにピッタリ正解!なんてこと無理でしょう? まずは現状「いじめられっこ」を救うため「いじめっこ」を改めさせる強硬手段をとってほしい。 問題が発生したら考えて足踏み数分にとどめ優先順位が高い方へ進む。 アメリカでリーガン法が実施されたとニュースで聞いたとき、早い対応!と思ったんです・・・ |
788:
匿名さん
[2006-12-25 23:59:00]
>いじめっ子の学ぶ権利を奪ってどうする?!って思います。
おお、そういう発言もありましたか。 これにはいじめっ子の学ぶ権利を奪うって、それ以前にいじめられっ子の学ぶ権利を奪うことは許されるのかと思いますね。 いじめられっ子の犠牲の上にではなく、自分の犠牲の上に立ち直れよ!! それも出校停止なんて自分の犠牲というほどのことでもないでしょ・ そこまで問題ある子なら学校いっても何をどれくらい学んでいるんだか。。 いじめっ子の権利を言うなんておこがましいとしか言えません。 他人の権利を奪うものに自分の権利を主張することなんてできないというもっと基本的なルールを教えるほうが先です。 |
789:
匿名さん
[2006-12-26 00:00:00]
↑ ミーガン法 が正しいです。 すみません・・・
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790:
匿名さん
[2006-12-26 00:02:00]
未成年だからとか子どもだからとか・・もう甘やかしてる時代じゃないと思う。
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791:
匿名さん
[2006-12-26 00:58:00]
「いじめ」というものを明確化して、刑罰化すればいいんだよ。
懲役3年くらいにすればだいぶ減ると思うけど? |
792:
785
[2006-12-26 01:31:00]
>>791
何をもって「いじめ」と判断するのか、現実にはそこが一番難しいんでしょうね。 いじめている側が意識の有無に関わらず、たとえば 「いじめているんじゃない、一緒に遊んでいるんだ」 などと言ってしまえば、状況的に見ても相手は黙るしかない。 中には、そこを逆手にとって利用するような狡猾な子供もいるのだと思います。 短絡的な「罰」に害があるとすれば、そういう子供が罰を恐れるが故に 隠れたところでのいじめをエスカレートさせてしまう惧れがある、という事でしょうか。 (782さんが言いたいのもそういう事なのかも) しかし、だからと言って「ルールづくり」の基準をそこに合わせてしまっては本末転倒だと思う。 必要以上に迎合して、子供に舐められている大人が多いんじゃないでしょうか。 私が子供だった時代は既に「大昔」になってしまったけれど、あの頃の子供たちは やはり親や教師を畏れていたと思います。 萎縮してしまうほどの恐怖とは違う、いわゆる「畏怖の気持ち」というものです。 過ちを犯せば、その度合いによって痛みをともなう罰を受ける。 自分が受ける罰だけではなく、友達がそういう目に遭っている場面を見る事も ひとつの経験だったものです。 「罪の意味を学ぶ」って、まさにそういう事だと私は思ってます。 実際、皆そうやって色々な事を学んで大人になってきたと思うんですけどね。 |
793:
匿名さん
[2006-12-26 10:02:00]
まとめてひとくくりにして物事考えることに無理があるんだろうね、マンtoマンで臨機応変に対応しないとなぁ。
それは教師には無理だろうし、やっぱり親だな。 |
794:
匿名さん
[2006-12-26 12:53:00]
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795:
匿名さん
[2006-12-26 13:01:00]
>>792
>私が子供だった時代は既に「大昔」になってしまったけれど、あの頃の子供たちは >やはり親や教師を畏れていたと思います。 >萎縮してしまうほどの恐怖とは違う、いわゆる「畏怖の気持ち」というものです。 >過ちを犯せば、その度合いによって痛みをともなう罰を受ける。 今の時代、それらは全て体罰や虐待といった言葉に変換されてしまいますよね? それがそもそもの原因を生んだとも言えますね。 また、見付からないように陰で陰湿に行うようになった要因もそこにあるとも言えます。 私は狡猾な子や陰湿な子に基準を合わせるよりも、やはりある一定の基準を設けて 社会的に厳しく罰則を設けたほうが良いと思います。 個別の悪質なケースの解決法はそれからでも十分。 まずは、1件でもイジメを少なくするほうが先じゃないですか? |
796:
匿名さん
[2006-12-26 13:18:00]
>やはりある一定の基準を設けて
これが難しいのです。 |
797:
匿名さん
[2006-12-26 16:14:00]
やってみてもいないのに。
難しい難しい・・と言う簡単。 |
798:
匿名さん
[2006-12-26 22:28:00]
>>796
難しくてもやるしかないんじゃない? 何もしないで「イジメは良くない」などと言ってるだけではそれこそイジメはなくならないよ。 イジメられたほうが自殺したりしてから、調査して 「イジメはあった、なかった」と出来るんだから、一定の基準を設定するのは むしろ簡単だと思えるけどね。 |
799:
辛いいじめられっこ
[2006-12-27 08:07:00]
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800:
匿名さん
[2006-12-27 10:57:00]
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801:
匿名さん
[2006-12-27 11:01:00]
セクハラは
受けたものがセクハラと感じればセクハラとなる イジメも同じでいいのではないか? もし、異論がある場合は なぜセクハラではその論理が法的に許されてるのに、イジメではダメなのかを明確に論してくださいね。青臭い理想論はいりません。 |
802:
匿名さん
[2006-12-27 11:43:00]
>>801
反論ではないんだが。 セクハラはその論理が問題になることが多いのでは? 根本的に主観しか存在しない論理だから。 そのせいで上司が部下(特に異性)とコミュニケーションがとり難くなっているのが現実。 論理が論理だけに目が合っただけで「いやらしい目で見ていた」といわれてもそれが正論となる。 教師や親が怒れなくなっている原因の一端でもある論理なんだよね。 注意しても聞かない子に手を上げた場合、本人が「体罰」と訴えれば体罰とされてしまう。 ある教師の言い分(言い訳?)でたとえば、職員室から勝手に物を持出そうとした女子生徒に 腕をつかんで「ちょっとまった」というだけで体罰だのセクハラだのと騒がれるケースもあると。 「○○さん。ちょっといいですか?それを勝手に持ち出しってはいけないんですが」と丁重に お伺いしなきゃいけないと。 なんじゃそりゃ・・・・ ちなみに、セクハラが法的に認められたのは単にアメリカと同じ事をしようとした政治家さんたち が、法解釈をそういう風に翻訳して持ってきたから。 論理が正しいわけではないと思うよ。 |
803:
匿名さん
[2006-12-27 12:02:00]
人が人を裁く難しさをしらないようだ。
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804:
匿名さん
[2006-12-27 12:04:00]
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805:
匿名さん
[2006-12-27 12:47:00]
セクシャルもパワーもイジメ(ハラスメント)の一種。
苛められっ子のズボンを同級生の前でおろすのはセクハラだし。 |
806:
匿名さん
[2006-12-27 23:01:00]
>>802
それってコミュニケーションが取り辛くなってるわけではなく、 まともなコミュニケーション能力がなかったって現われでしょう? 上司と部下だろうと、親・教師と子供だろうと、いじめっ子とイジメられっ子だろうと 基本は人間対人間なんだってこと。 それに論理的にどうであろうと、抑止力になりうるのであればそれで良い。 問題があるなら整備していけば良いこと。 現時点では1件でもイジメを減らしていくほうが先でしょうに・・・ |
807:
ままん侍
[2006-12-28 03:46:00]
教育の失敗は単なる失敗では許されない。
それは人を作るものだから。 そもそも何でいじめがはびこるのか。 管理主義社会に対する子ども達のストレスではないだろうか。 生まれたときは授かった命に感謝したのに 成長するに従って親の勝手な夢を押し付け、条件付きの愛を行使する。 少子化で子どもの一挙手一投足に大人たちの視線が行く。 子どもの対応に慣れない大人たちは何かあれば「親のせい」という風潮に 親も一層監視の目を厳しくする。 昔は理不尽な大人の体罰をも許容できた。 何故ならストレスを発散する場があったから。 しかし今の子ども達に発散させる場はない。 学校でも家庭でも同心円状に基準が設けられ させられ体験の飽和がいじめを生んでいるではないか。 少年犯罪で殺人を犯すような子どもが あいさつはきちんとできて勉強もできる、 いわゆる大人にとって「良い子」が多いのも そうした所以ではないか。 であれば、罰則というのはそうした管理主義を一層 厳しくするものであり改悪にしかならないと思う。 でなくとも、教育とは失敗体験を沢山させてやることである。 いかに安心して転べる場を作ってやるかだと思う。 教育に罰則は要らない。 |
808:
ままん侍
[2006-12-28 04:46:00]
警察庁のいじめの定義は
「単独または複数の特定人に対し、 身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、 いやがらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して加える」 である。 ある子どもは自分が行く所、行く所、 いつもサッサッ人が道を開けるのだそう。 特に暴力を振るわれるでもなし、暴言を吐かれるでもない。 しかし心理的圧迫という点で立派ないじめである。 いじめは一定の人間に対して 集団で行なわれ、首謀者が見えないものが多い。 「俺だって、まだ死にたくない。 だけどこのままじゃ、「生きジゴク」になっちゃうよ。 ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ いみないじゃないか。 だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ、最後のお願いだ」 という遺書を残してこの世に別れを告げた彼は いじめの標的になる前は別の標的が居て、 その少年がいじめに耐えかねて転校したがために 空席となった標的の位置に彼が据えられた。 そして自殺した本人も前の標的に対していじめる側であった。 いじめが犠牲をいつも不可欠としていること、 いじめの対象が誰になるか分からないということ、 そうしたいじめの構造を断ち切ることを自分の死を持って願った。 …また最近あった教師が一緒になって特定の生徒をいじめていた場合など 一体誰が誰を裁いてどんな罰則を与えるのか… 罰則という限り、それは公平に行使されなければならない筈。 どうやって… 困難だからということではなく、こうしたいじめに 罰則というものが適当ではないと思うのです。 |
809:
匿名さん
[2006-12-28 10:41:00]
>少年犯罪で殺人を犯すような子どもがあいさつはきちんとできて勉強もできる、
>いわゆる大人にとって「良い子」が多いのもそうした所以ではないか。 多くは無いよ マスコミに踊られすぎ 少年犯罪で殺人を犯すような子どもは***予備軍の少年の方が圧倒的に多い。 |
810:
匿名さん
[2006-12-28 10:44:00]
>罰則という限り、それは公平に行使されなければならない筈。
>どうやって… とりあえず、現状社会におけるセクハラと同様に 訴えることができて裁かれるようにしたらどうだろう? 抑止力にはなる。 |
811:
匿名さん
[2006-12-28 11:05:00]
あの〜、ちょっとよろしいですか。
管理主義によるストレスって・・。 いじめがはびこるクラスは「管理型」より「なれ合い型」って統計が出てますよ。 親からのクレームがつかないように友達先生、仲良し先生のクラスほど 暴走したら言うこと聞かなくなるってこと。 大人が普段から毅然とした態度で接してないとダメって事。 子どもの顔色伺って家庭教育してるようじゃ、集団教育なんて出来ないよ。 |
812:
匿名さん
[2006-12-28 11:17:00]
>ままん侍さん
根本的なズレを感じてしまうのですが 「いじめ」は現代社会になってから起こりだし、学校の中だけの話と捉えてらっしゃいますか? 私は人が集団生活を始めた時から「いつの時代もある」ことだと考えてます。 つまり、弱者をはけ口にする動物的な本能的なものだと。 となれば、刑罰で抑止するしかないと考えてます。 |
813:
匿名さん
[2006-12-28 11:43:00]
812さんに似た趣旨なんですが、一言。
イジメは、例えば江戸幕府の大奥や旧日本帝国陸海軍では日常茶飯事で自殺者も出ている。 学校でもしかり。ただ、当時はイジメはその組織において必要悪とする風潮もあったし、 ままん侍さんが忌み嫌う旧日本軍兵士は部品として見るなら筋金入りの強兵であった。 イジメは順送りで、イジメられた側がイジメに回った。 しかし現在の日本はイジメが悪いと喚くだけで、何の解決策も出てこない。そうであるなら、 罰則を科するのも、何もしないで理想論を振り回すだけよりマシじゃないか。 |
814:
匿名さん
[2006-12-28 12:30:00]
>>ままん侍さん
>管理主義によるストレス ではなく、大人がやってる事を真似てるのかと。 大人社会でもイジメ(ハラスメント系含め)があるんだから子供社会にもあって当然じゃない? で、大人のイジメにはそれなりの処分が可能となったんだし、 子供でも適用することに何の問題もないかと。 まぁ、更正施設送りとかやってもらうのが一番かな。 人間の行動を抑止するには厳罰化してくしかないよ。 理想論説いてても何の足しにもならんよ。 |
815:
匿名さん
[2006-12-28 13:00:00]
いわゆる人権屋の登場を待つまでもなく、罰則強化を打ち出すと酔っぱらい運転は別と
して必ず反対論者が出てくる。イジメでなくとも、例えばポイ捨てタバコを罰金を徴収 する条例を施行し、実際に取り立てると激減したと言う。しかし、これは精神論で、運 用にあたっては個人の自覚に待つと言う場合は、分かってくると平気でポイ捨てする。 人間はいかな綺麗事を言っても人間本来の業というものがあろう。 学級会でみんな守ろうねと打ち合わせたマナーがずっと続いたことがあるか。理想論を 振りかざすことは簡単、では、どうすればいいのか。皆さんよろしいね・・が機能しな いことが分からないはずがない。 |
816:
匿名さん
[2006-12-28 13:08:00]
理想論で思考停止するのは卑怯だが、そのほうが精神的に楽なんですよ。
|
817:
匿名さん
[2006-12-28 13:48:00]
>>808,807
そういった事だから子供に舐められて、 親や教師に躾も出来なくなってしまったんじゃないの? それとそういった理想論で「イジメに苦しんで自殺してしまった子供」、 若しくは「今現在イジメに苦しみ、死を選ぼうとしている子供」は救われるのか? 「イジメを苦に自殺をする」人間がいるのに、 イジメた側には「安心して転ぶ」といったレベルで済まされるのか? 聖人君子よろしく理想を振りかざすのは結構だが、 現実的に「では、どうしたら良いのか?」といった思考が貴方には欠けている。 教育現場にも校則はあるし、社会生活においてのルールもある。 それを破る者には「罰」が与えられる。 これはこれから先にも社会で生きていく子供に教えるべき「教育」なのではないのかな? その対象から何故「イジメ」の問題だけが外れるのか、 「罰」が適当でないとするなら、何を持って「善悪」を子供に教えるつもりなのかを 貴方に問いたい。 また、貴方の論理の行き着く先も「こうあるべきだ」との理想が同心円状の基準で固められ、 管理主義よりさらに心苦しい、「清流に魚住まず」の状態になることをお忘れなき用。 清濁併せ持った世の中での業(毒)は罰(毒)で制するのが先人から続いている 人間社会での根本だとも思いますし。 |
818:
匿名さん
[2006-12-28 14:32:00]
管理主義よりさらに心苦しい、「清流に魚住まず」の状態になることをお忘れなき用。
|
819:
匿名さん
[2006-12-28 21:39:00]
司法も当てにできないかも、国に嘘ついて人命亡くした原因の責任者が無罪になっちゃうんだから。
|
820:
匿名さん
[2006-12-28 21:45:00]
↑そんな事を言い出したら、世の中の全ての物が当てにはならんよ。
|
821:
匿名さん
[2006-12-28 22:26:00]
全然違う話ですいません。
私は自分のことを主人にも言えずここの場を借りて書かせていただきます。 私は自分の子どもをいじめています。 でも、昔の私はいじめられっこでした。 でも、今は逆です。 何故いじめてしまうのか・・・。 こどもに何回言っても覚えてもらえない事がとてもいらついてしまうのです。 普通の子供です。けれど、つい最近うちの子供は発達障害者なのでは無いかと思うようになりました。 普通のこどもより劣っているという感じです。 先生にも指摘されました。クラスで一番着替えも遅いし,何を言っているのかも分からない事が多いそうです。 私はそれに対し,普通の子どもと同じようになって欲しいという思いがあり、どうしてもたたいたり、 ひどいことを言ってしまうのです。 本当にひどい母親です。 皆さんごめんなさい、ぜんぜん関係のない話で・・・。 書かないと,辛くて・・・。 |
822:
匿名さん
[2006-12-28 22:58:00]
>>821
昔から「発達障害」と言われているものはだいたいが「LD(学習障害)」と 「知的障害(精神発達遅滞)」です。 これとは別に「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」や「ADD(注意欠陥障害)」なども 現在は多くなってきています。 ADHD、ADDは顕著な障害が出にくい場合もあるので見過ごされがちです。 どうしても気になるようなら一度病院に相談されるのも良いでしょう。 |
823:
822
[2006-12-28 23:07:00]
>>822
追記:ADHD、ADDとは別に高機能自閉症という病気もありますのでご注意下さい。 (病院での専門分野が違いますので。) 国内では国立成育医療センターをお薦めします。 (他病院で専門的に研究が進んでいる所は少ないので。) |
824:
匿名さん
[2006-12-28 23:12:00]
>>821
妻の妊娠中に、自治体が主催している「両親学級」に参加した時に 小児科の先生(結構高齢な人)がこう言っていた。 「子供は自分の望み通りの人間になど育たないものですよ」と。 子育てをする上で、この言葉だけは忘れずにいようと思ったよ。 無事生まれた今となっては、赤ん坊の一挙手一投足が喜びである一方 早くも、自分の子供と他の子供とを比較しようとし始めている自分に気付いた。 親としてはある意味仕方のない事なのかも知れないね。 お腹の中にいた頃は、とにかく無事に生まれてきてくれと願っていた。 その気持ちを思い出して「こいつはこいつなんだ、他の誰でもない」と思うようにしてる。 822さんが書いておられるように、医師にみて貰うべき状況も考えられるだろうから ここでの意見は(俺のも含め)あくまで参考程度にとどめておいて 専門家に相談した方が良いんじゃないかと。 あなた自身も相当参っているようだし、ご自身のメンタルな部分にも何らかの 不具合が発生しつつあるのかも知れない。 ひとりで悩むのは良くないけれど、相談する相手は誰でも良いという訳ではないと思う。 まずは現状把握からいってみましょうや。ね。 |
825:
匿名さん
[2006-12-28 23:58:00]
>>821
着替えの遅いのを指摘されるということは子供さんは 就学前か低学年ですか? この頃までの子供ってどんどん新しいことを身に付けていく時期だけに 成長の早さを他の子と比べてしまいがちですよね。 自分の子は他の子より劣ってると思って、いらついたり、不安になったり するのは私も経験者なのでよく分かります。 つい手を挙げてしまったりしたこともしばしば・・・ でもこれをご自分で「いじめ」と思われるのはどうかしら。 どんな親でも多少のやりすぎはありますよ。親も人間ですから。 ご自身を攻めることはしないで欲しい。 それより笑顔で接してあげて欲しいです。 |
826:
匿名さん
[2006-12-29 10:14:00]
皆さんの暖かい励ましのお言葉を読むたびに泣いていました。
本当にありがとうございました。 自分の中ではなんとなく予想がついていたことだったので、気持ちも整理して,しっかりとしなくちゃと 思います。 もう,うちの子供は小学生なのですが、やはり、友達がいなくて淋しそうです。 でも、それは、他の皆が悪いのではないです。 これからも、たぶん色々な事が起こるとは思いますが頑張って笑顔を忘れずに生きたいと思います。 |
827:
824
[2006-12-29 12:00:00]
>>しっかりとしなくちゃと思います。
無理はしなくて良いんじゃないだろうか。 確かに、子供は大人が作る環境の中にいるものだけれど そこから吸収するものだけが彼らの全てではないと思う。 10年前、俺の高校の同級生に子供が生まれた時に 「親になった感想は?」と、ふざけ半分で聞いてみた事があるんだが そいつは真面目な顔をして 「変なこと言うようだけど、他人なんだなぁって思った」と答えたんだわ。 当時は何のことだかよく解らなかったけど、今は自分にも子供が出来て その意味が解った気がするよ。 子供は自分の力だけで生きていく事はできないけれど 赤ん坊の段階で既に、立派な「一個の人格」なんだとね。 こいつがどういう人間になるかは、結局のところこいつ次第なんだと。 先の小児科医の言葉とも繋がると思った。 過度な期待は子供の負担になるし、我々親だって人間なんだから 子供の分まで丸ごと人生を背負い込む事なんてデキッコナイス。 友達がいない、という事についてもそうだ。 今は寂しくても、これから進学したり部活や習い事を初めたりすれば 環境が変わって否応なしに人間関係も変わる。 俺は小さい頃、大勢で遊ぶよりもひとりで絵を描いたり本を読んだり するのが好きだったから、母親は少し心配していたらしいんだが 当の本人としてはその状態が一番居心地が良かった訳だし ある程度の年齢になってからは親友と呼べる友人も何人かできた。 この事からも、「子供の人生なんて先読みできない」という事が 言えるんじゃないだろうか。 放任することで親の責任まで放棄してしまってはいけないけれど スレ主さんはその点、充分過ぎる程の責任感を持っているんだな。 大丈夫。親に叱られた経験の無い子の方がむしろ心配だ(笑) 俺の方が育児の後輩なのに、偉そうな事言ってスミマセン。 お互い適度に頑張りやしょう。親はつらいよ・・・ |
828:
匿名さん
[2006-12-29 13:44:00]
>>820
そう、他人は当てにならないし当てにしてはいかんということだね。 |
829:
匿名さん
[2006-12-29 22:02:00]
本当にありがとうございます。
今日は心がほっとあたたかくなって、気分的にもとても楽になれました. 何年ぶりだろう・・・。 何度も今日子供を抱っこしました。やさしくすると、子供も笑ってくれました. 沢山の気持ちを押し付けていたのかもしれません。 本当にありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。 |
830:
824
[2006-12-30 11:00:00]
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831:
匿名さん
[2006-12-31 01:47:00]
そろそろ ママン侍さんのレスを希望
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スムログ 最新情報
スムラボ 最新情報
>出校停止にした上で教育すると言っていますよね
>これなら「処分した上で終わり」というわけではないと思います。
その通りです。私もそう言っているつもりです。
>その手が出校停止の上、個別に教育で何が悪いのでしょうか?
いいと思います。
但し義家氏のような教師が各学校に存在すればの話です。
罰則だけで終わらずその後にしっかりと教えることができるのなら
それでいいと思います。ですがそれができるのなら罰則など
いらないのではないかと言っているのです。