いじめ問題
282:
匿名さん
[2006-11-23 22:06:00]
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283:
匿名さん
[2006-11-23 22:06:00]
>279
結局親もろくでもない、問題のある家庭。 そういう親は受け入れるどうのの問題以前。大体、被害者への手前の言い方だったかもしれない。 こんなのでいじめっこを受け入れれば問題なくなるだなんて言わないでほしい。 |
284:
匿名さん
[2006-11-23 22:07:00]
ここって自作自演がいますかね?
276さんのほうがずっと簡潔、要領を得た内容ですね。 |
285:
匿名さん
[2006-11-23 22:09:00]
一つ聞きたいのですが、いじめっ子は受けとめればいいという人。
いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか? 自分の病気(いじめ)さえ治ればそれで解決? |
286:
ままん侍
[2006-11-23 22:14:00]
「お母さんの肌って、なんて気持ちいいんだろう」
とか、「お父さんのひざの上にいると気持ちいいなぁ」、 そんな愛されている体験をたくさんすることが大切です。 いじめられる体験、たとえば「お前なんて、ばかだ」 といわれてショックを受けるような体験をした場合、 愛されている体験に比べて、 いじめられる体験というのはなんて悲しいんだろう、 と相対的に理解するわけです。 人間の感情は純粋な感情ではありません。 全部相対的な感情です。 人を愛するということが分かっている人は 逆に人を憎むという感情だってわかっています。 悲しいという体験が分かる人は、 反対に喜ぶとか嬉しいと言う感情もわかっている。 しかし、先天的にあるのではなく 相対的に体験を通じて理解し、学習するものです。 いじめられていた子が、学年が変わってグループも変わると いじめっ子に変身する、ということがあります。 大人は「お前はあんなにいじめられて悲しい思いをしただろう。 辛かっただろう。それなのにどうして人をいじめるんだ。 人の悲しい気持ちがわからないのか」 と説教するけれども、いじめられて悲しいという体験はしたとしても、一方で、 愛されて気持ちいいという体験をしていなかったら、その子はふたたび悲しい思いを しないために人をいじめるしかないわけです。 その子どもの心の中には悲しいという体験を否定する もう一つの感情、つまり嬉しいとか気持ち良いとかいう感情が育っていないわけです。 そういうときには、悲しい体験を再びしないために、自分をいじめられる立場から 抜け出させるしかないわけです。それを否定する感情がないからです。 by「キレる子、キレない子」〜精神科医からのメッセージ 石田一宏著 |
287:
匿名さん
[2006-11-23 22:40:00]
>いじめっ子であろうが非行少年であろうが子供は大人に守られ、
>更生させて社会に出さなければいけないのです。 いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか? 自分の病気(いじめ)さえ治ればそれで解決? いじめっ子が一生消えない傷を負ったとしてそれはどうするのですか? どうも違和感を覚える原因はいじめられた子の傷に対して何も発言がないことですね。 いじめっ子もある意味被害者というのはそれでもいいですが、でも加害者として誰かをひどく傷つけたという事実は決して消えないのです。 もし自分の子供がいじめによる自殺ではないにしろ、心の病の子に殺されたら決して許すことはできません。 他人の人生を奪った人間が、加害者なのに更正して社会に出て自分だけに自分の新しい人生をやり直すチャンスが与えられるなんて許せません。 |
288:
匿名さん
[2006-11-23 22:41:00]
やり直す人生は一生償いの苦しい人生を送るのが当然の報いです。
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289:
匿名さん
[2006-11-23 22:41:00]
>いじめっ子が一生消えない傷を負ったとしてそれはどうするのですか
いじめられっ子がの間違いです。 すみません。 |
290:
匿名さん
[2006-11-23 22:46:00]
いじめられっ子がいじめっ子になるというのは決して多い確立ではなく、そういうパターンも多いくらいじゃないかと思いますが。
もともといじめっ子はいじめっ子というほうが圧倒的に多いのでは? いじめっ子といじめられっ子の立場が入れ替わることがあるからといって、両者を同列には並べることはできないと思います。 いじめられる子もいじめられる子で終わることのほうが多いでしょう。 それで自分がいじめっ子になることもあるからといっていじめっ子の更正だけで話が終わるのでは ひどいなあと思います。 |
291:
匿名さん
[2006-11-23 22:49:00]
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292:
ままん侍
[2006-11-23 22:59:00]
つづき
いじめる子は、いじめられるような体験をしてきている。 いじめられたのは友達にいじめられたということとは限りません。 家庭で父親や母親に殴られたとか、教師の体罰があったとか、いわば勝つか負けるか、 勝たなければ悲しんだというようなパターンを学習してきているわけです。 そういう子は他の子をいじめていますから、 周りから、さらに「いじめちゃ駄目だよ」と 怒鳴られるわけで、ますます愛されることが少なくなってしまうのです。 だからいつまでも いじめっ子であり続けようと努力するわけです。 最近は先生達の中でも、「いじめてる子も 抱きしめてやらなきゃいけない」とよく言われますが、 本当にそうだと思います。 愛される体験が少ないわけですから。 人間と言うのは、生まれたときから愛させるように遺伝されています。 赤ちゃんはかわいいでしょう。 こちらがわらいかければニコニコとこたえる。 あれはニコニコと笑顔を振りまこうと意識しているわけではないのです。 子どもというのは大人がかわいがりたくなるようにかわいく生まれてくるわけです。 これは、人間の進化の一つだと思います。 また、大人と子どもを結ぶ数少ない先天的 コミュニケーションの貴重な方法だと思います。 それはそのほかの動物にも言えるかもしれません。 つまり大人から愛されることを予定して子ども達は生まれてくるのです。 大人から殴られるとか、寂しい思いを させらることを予定していないと思うのです。 それで必死になって笑顔を振りまいて、 笑顔を振りまくから大人も一生懸命に愛して、 そうやって愛されるということの 快感を子ども達自身がちゃんと体得できるように、 かわいく生まれてくるわけです。 そして子どもは愛されて、人を愛せるようになる。 そういう関係だと思います。 それなのに最初の段階で大人を警戒しなければいけないとか、 大人を怖がらなければならないということを学習するとしたら、 それはずっと尾を引きます。 虐待された具体的場面などは忘れてしまうのですが、記憶の隅っこのほうに 恐怖のイメージは残り、ものの考え方あるいはとらえ方として、前頭葉の働きに 影響を与え続けるのです。 だから先生方が、一生懸命「お前を好きなんだよ」と言ってやっても、なかなか信用しない。 あるいは「友達同士、もっと信じあっていいんだよ」と言ってもなかなか信じない。 そういう寂しい心のまま小学校とか中学校へきている子もいると思います。 その子たちはそれまでに裏切られた体験みたいなものを多く持っているのだと思います。 だからそれを乗りこえるためには、その子自身が、いっぱい愛されて、自分もまた人を 愛して気持ちいいという体験をあふれるほどたくさん体験しなければならないのです。 |
293:
匿名さん
[2006-11-23 23:13:00]
・いじめ撲滅
・自殺阻止 ・いじめる側に問題があっていじめられる側に問題はない 以上のことは皆さん共通の思いですね。 被害者側に問題はないのに、被害者のことについて話あっても意味ないでしょう。 (被害者からの相談があれば別ですよ) やはり問題のある加害者側をどうするかが論点だと思うのですが・・・ そこで意見が分かれているのが ①加害者も子供なんだから更生させてやる。 ②加害者には罰を与えて隔離する。 ということでよろしいですかね。 |
294:
匿名さん
[2006-11-23 23:18:00]
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295:
匿名さん
[2006-11-23 23:26:00]
>いじめをした子に、被害者への謝罪償いその他はさせないのですか?
させるに決まってるじゃないですか。 更生させるために! >他人の人生を奪った人間が、加害者なのに更正して社会に出て自分だけに自分の新しい人生をやり >直すチャンスが与えられるなんて許せません。 ではあなたは罪を犯した人間は全て死刑にしろとお考えですか? |
296:
匿名さん
[2006-11-23 23:41:00]
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297:
匿名さん
[2006-11-23 23:43:00]
>どうも違和感を覚える原因はいじめられた子の傷に対して何も発言がないことですね。
確かにそうでしたね。ごめんなさい。 もちろん何の罪も無いのにいじめられた子に対しては深く同情しますし 死なずに何とか乗り越えて欲しいと思っていますよ。 でも293(私)で言ったとおり 問題のあるいじめっ子を一人でも無くしていくことをまず考えないと いじめの撲滅はありえないでしょう? |
298:
いじめを無くしたい
[2006-11-23 23:48:00]
ある学校の生徒がいじめを題材にした劇をしているのをニュースで見ました。
いじめ撲滅に効果があるとおもいます。 いじめは卑劣、卑怯な行動、絶対してはいけないことを学校にてキャンペーン等で広めてはどうでしょうか。 |
299:
276
[2006-11-24 02:58:00]
>>277
>>両者の立場で考えを述べてられるのでしょ? 私は、274さんが仰る事を「間違っている」と言っているのではなく 意味が解らない、と言っているのです。 同じ学校に通っていて、否が応にも毎日顔をあわせる相手から 暴力を受けたり物をとられたり等々している状態において 『ありのままを受け入れる』 というのは具体的にどういう事なのか? という事がイメージできない。 我慢するべきだとか、やられたらやり返せと言われた方が まだ解る気がするけれど、そういうことでもないようだし。 「両者の立場で考える」という貴方のお話についても同様。 この手の話をするにあたって、相手の立場に立つという事に どれほどの重要性があるというのかが、私には解らない。 当時の私も、相手に対して「更正」やら「反省」やらを求めるほどの 気持ちの余裕はまるで無かった。 ただ単に、「もう自分には構わないでくれ!」と望んでいただけ。 いくら止めてくれと言っても止めて貰えない恐怖。 それから解放されることだけが全てだった。 |
300:
276(つづき)
[2006-11-24 02:59:00]
学校というのはすごく狭くてクローズな社会だけれど、その中でも
すべての関係者が理解し合う事なんて不可能だと思う。 大人になって社会に出た今となっては余計にそう思う。 人を憎む事と人を否定する事とは別なのであって 価値観が違う者、ウマが合わない者、センスや思考の異なる者が 集まったって「憎しみのない社会」を構成する事はできるのだ。 なのに、そういう個人差はさておき皆さんとにかく仲良くしましょうね、と いうのが、いまの学校教育のような気がしてならない。 「相手のすべてを受け入れましょう」というのも、私の耳には どうしても同義に聞こえてしまう。 出来もしない事を信じて真実を見失ってしまうよりも 「超えられない壁」の存在を認識しながらベストを尽くした方が 自分にとっても他者にとっても、ずっと良い結果をもたらすと思う。 同級生をいじめる者の背景を理解し、すべてを受け入れて 一緒にもがき苦しむのは、少なくとも「いじめられた側」の者に 強いられることではないし、逆に「いじめた側」も、その事だけで 人としての存在までをも全否定される必要は無い。 社会には「してはならない行為」というものがあるのであって 単純にいじめもそのひとつだと思う。 罪を憎んで人を憎まず、ではないけれど・・・まずは行為を行為として きっちり罰し、抑止する事が大切なんじゃないかと。 当時の私にとっても、母や教師が動いて「相手の親」を抑えて くれた事が一番ありがたかった。 その「相手の親」も、いじめの当事者である子供達をコントロール してくれたという事だと思っている。 |
301:
ままん侍
[2006-11-24 07:00:00]
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心の病気=脳の病気
脳の病気=精神疾患
身内でもがき苦しむだけでは駄目。
精神疾患がある場合、適切な治療が必要です。
いじめは病気、酷い場合は隔離する。
それぐらいの事をしないと減らないでしょうね。