会社でいろいろとワープロ仕事をしていると、
渡邊、渡邉 (→渡辺以外使用禁止へ)
斎藤、齋藤、齊藤、齊籐 (→斉藤以外使用禁止へ)
山埼、山碕(大の部分が立になることも)、山嵜
(→山崎以外使用禁止へ)
とか、その名字の人には悪いけど、
注意しなければ間違えやすい名字に時間を奪われます。
自分の先祖はこう書いていたといのは、戸籍謄本の
とこかに封印してもっらって、登記上の名字は
どんどん標準文字に切り替えませんか?
この辺にこだわる理由がよく分かりません。
[スレ作成日時]2008-01-10 23:56:00
そろそろ旧字の使用をやめませんか?
2:
サラリーマンさん
[2008-01-11 00:47:00]
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3:
02
[2008-01-11 00:50:00]
あ、誤解のないように補足しておきますが
「祐子」と「裕子」を新旧のサンプルとして挙げている訳ではありません。 似て非なる文字を書き分ける、という点においては、新自体・旧字体も同様に 扱うべきだし、それは然程面倒な事ではなかろうという意味です。 |
4:
匿名さん
[2008-01-11 00:59:00]
>山埼、山碕(大の部分が立になることも)、山嵜
>(→山崎以外使用禁止へ) てか、それ4つとも「崎の旧字」じゃないんじゃ・・・? |
5:
01ビギナーさん
[2008-01-11 06:32:00]
ご意見ありがとうごさいます。
>似て非なる文字を書き分ける、という点においては 例示したものは、その種類のものではなく、「祐子」と「裕子」はそれこそ 一緒にする必要性は全く感じません。 >そういう言い回しも含めて「文化」なのだと思うので これから先も、面倒だなと思う人も多いわけで、そこまでしてこの経済社会の 中に流通させる価値があるかというお話です。 昔、ローマ字文明と漢字文明があって、同じようにスタートしているのに、 ひとつひとつ漢字を書いている間に、西洋の方がその文字表記の簡便さで 文化発展のスピードが違ってきたのではとはよく指摘されていることです。 でも、今の中国ほど極端に簡略化する必要性もないのでしょう。 自動変換されて、手書きでなくなってきましたから。 そこに、旧字体と新字体が混ざって、選択する行為が生じると、 他の名字ではない、選択作業に時間を要します。 この斉藤さんは、どれが本当だったかなと、追跡調査するだけで時間を失う。 例示された「タツザキの﨑」はあるけど、石辺の方は、ATOKでも辞書化されていないし。 髙﨑さんとかも、高崎に統一しましょう。 >04さんの指摘に関しては、実はよく経緯は知らないのですが、 これは旧字体ではなくて、たぶん異字体で分類すべきだったですね。 このごく少数の異字体の方々も使用をやめるというか、戸籍レベルで 普通に使う文字の方へ修正していただきたいです。 戸籍制度が、この辺の変更を認めていないのではないでしょうか? だから、法律改正でもしていただきたい気持ちです。 旧字体と異字体と、そこまで固執してこれも文化だからと認識するのも一つの考え方ですが、 僕は、それによって多くの人の時間が余分にとられることの弊害の方が大きいと思います。 |
6:
匿名さん
[2008-01-11 10:08:00]
たかだかワープロのオペレーションで楽をするために、随分と極端な事を考えるもんだなぁ。
「碕」「﨑」「埼」「嵜」は全て「崎」で統一しちゃいましょう、と言いながら 「祐」「裕」についてはその必要性を感じません・・・という基準がまるで解らん。 注意しなければ間違えてしまう、というのが理由なら、それこそ形が似ている文字は全て 統一の対象になってしまうんでないの? 「太郎さん」も「太朗さん」も、表記は同じにしましょうと言うことになってしまう。 (それとこれとは話が別です、と言っても理屈が立たないよね) 名前に込められた気持ちや、漢字が本来備えている意味もどうでもいい、と言っているに等しい。 それはまさしく「国語の破壊」だと思うんだけどね。 表記・発音などにおける合理性を比較すれば、日本語と他国語との間に差があるのは 紛れも無い事実だと、俺も思う。 しかしそこを指摘している学識者も、その「差」が国家や国民が備えている能力を直接 決定づけているとまでは言っていないと思うし、スレ主さんが主張しているような略字化を 推奨している訳ではあるまい。 我々が今更ローマ字文化にシフトできる訳でもなし、「書き易さ」「読み易さ」を単純比較して 簡単な方を採用していきましょう、そのためにはまず全てのサイトウさんは「斉藤さんに」! ってんじゃ余りにも安易じゃなかろうか? 仮にも人名、固有名詞なんだし。 てか、例に挙がってるような文字を使い分ける事自体、大した手間じゃないと思うんだけど・・・。 『赤毛のアン』もこう言っていたじゃないか。 「私の名前は最後に"e"が付く"Anne"なのよ」、ってね。 貴方が合理的だというアルファベット表記にだって、そういう機微というものがある。 俺たち日本人だって、そういうの大切にしようよ。 |
7:
1匿名さん
[2008-01-11 12:13:00]
06さん ありがとうございます。
>名前に込められた気持ちや、漢字が本来備えている意味もどうでもいい、と言っているに等しい。 別に言っていませんが・・・。 本来の語源が同じ場合の旧字体・新字体の混用をなくして欲しいまで。 例えば、 斎藤、齋藤、齊藤、齊籐 の斉にどのような意味の違いがあるのが教えて欲しい。 髙と高にどのような違いがあるのか、教えて欲しい。 >「碕」「﨑」「埼」「嵜」は全て「崎」で統一 少し極端かもしれまんせが、これもできれば意味の違いを教えて欲しいです。 太郎と太朗はあきらかに違うでしょう。 漢字が類似し読みが同一なだけ。 この辺を議論しているのではありません。 本提案のご理解よろしく御願いします。 |
8:
匿名さん
[2008-01-11 12:59:00]
文科省に言えば??
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9:
匿名さん
[2008-01-11 13:10:00]
私の名は俗字だったけど就職して数年目に戸籍上変えました。
周囲の人よりも本人がそもそも不便だったからです。 でも私は他の人にもそうしろと言う気はさらさらありません。 自分の字に拘る方の心情の問題や、上で幾人か指摘されている文化の問題もありますし、 すでにその名前でいろいろと積み重ねられた有形の資産があるであろうからです (文化も資産のうちですが、ここでは個人資産を指します)。 そういったことは無視していいのですか? |
10:
匿名さん
[2008-01-11 14:39:00]
刺身のトレイに葉蘭(ばらん)を敷いてるパートのおばちゃんが
「こんなもん食べられる訳でもないのに何の意味があんの??」と文句を垂れてる。 ・・・そういうレベルの話じゃないの?コレ。 議論の余地があるテーマなのかも知れないけど、出どころがあまりにも矮小な気がする。 |
11:
匿名さん
[2008-01-11 16:34:00]
「正字体」と「異体字」のうち、「異体字をなくしてほしい」というわけですね。
・「字体」の各項目を参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%97%E4%BD%93 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%97%E4%BD%93#.E6.AD.A3.E5.AD.97.E4.... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%97%E4%BD%93#.E7.95.B0.E4.BD.93.E5.... はっきりいって、ムリ。以上。 |
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12:
匿名さん
[2008-01-11 16:53:00]
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13:
06
[2008-01-11 17:53:00]
>>07
なるほど。 要するに「語源が同一なら」という事が条件な訳ね。 でも、やっぱり賛同はできないなぁ。 そもそも「統一する」という事に何ら必要性を感じないもの。 俺の友人にも、○齋君とか國○君とか廣○君とか髙○君とか サンプルになる名前がたくさんあるけれど、普通に書き分けてりゃ 何の問題もないからね。 スレ主さんは、もしかしたら仕事で人名データを取り扱う機会が多くて その都度ご苦労されているのかもしれないが、それがこういった事を 主張する普遍的な理由になり得るんだろうか? 俺も仕事で印鑑証明なんかを大量に扱う事があるけれど コード表にも載っていない、象形文字みたいな「誤字」がそのまま 登録されてしまっているようなケースがある。 戸籍上の表記と印鑑証明の表記が違うというだけでも、色々と 面倒な事があるけれど、文字そのものが社会的に成立していないとなれば 外字でシコシコ作ったり何だり、それこそあほらしい作業が発生する。 それでも、言ってみれば「その程度で済む話」でしかない。 戸籍上の名前を変えるには、家裁の許可だの何だのが必要だが 社会生活においては自分の名前を便宜的に変える事はできるのだから なにも法律を変えたり、ある特定の表記を「禁止」したりしなくたって いいんじゃないだろうか。・・・というのが俺の見解です。 何度も言うように人名なんだから、そう簡単に整理はできないっしょ。 ご提案の趣旨は重々理解しているけれど納得はできない、って事で。 |
14:
匿名さん
[2008-01-11 17:59:00]
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15:
1匿名さん
[2008-01-11 18:00:00]
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16:
1匿名さん
[2008-01-11 18:04:00]
他の方々もコメントありがとうございま〜す。
またお礼のご返事させていただきます。 |
17:
匿名さん
[2008-01-11 18:29:00]
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18:
匿名さん
[2008-01-12 11:35:00]
印鑑証明書のとおりであれば、登記簿謄本の表記が違っていても問題になることはありません。
文書は簡単な表記にして、クレ−ムが付いたら直すことにしていますが、今のところ斉藤さん 渡辺さんからのクレ−ムはありません。 |
19:
匿名さん
[2008-01-12 13:38:00]
「新日鐵」を「新日鉄」と書いて平気な人間にはなりたくないもんだね。
何で新日鐵が「鐵」にこだわっているのか、その気持ちを尊重しなくてはならんよ。 「鐵」は旧字だから新字の「鉄」にしろと文部相が命令する権限はない。 |
20:
匿名さん
[2008-01-12 14:46:00]
苗字だけでない、偉くなると出世魚のように特異な漢字にかわる。
こだわりか知らんが、こだわるのは自分だけで良いよ。 新日鐵の社員で、新日鉄って書いたことのある社員、その家族たくさんいるぞ。 鐵と鉄で人間がどうこうなるわけではあるまい。 そんなところに人間性を求めるの、本気かい? 可笑しい、可笑しい。 |
21:
匿名さん
[2008-01-13 00:12:00]
「旧字の使用をやめる」より「新語の使用をやめる」方がいいでしょう。
最近の子供の名前は「愛」と書いて「らぶ」とか、「天使」と書いて「えんじぇる」とか・・・ 「斉藤」か「斎藤」なんて推測できるだけマシですよ。 |
極端かも知れませんが、同じ「ゆうこさん」でも「裕子」と「祐子」はきちんと
書き分けなければ失礼にあたるだろうし、そのために払う注意が負担と言うほどの
ものではないと考えてます。
例えば「齋藤さん」が他者への配慮として「斉藤」を名乗っているケースがある事も
理解はしていますが、ルール化すべきかと言えばそうは思いません。
端的に言えば、書き分ければそれで済む話じゃないか・・というだけの話。
以前、仕事で中国に行った時に現地の若い女性と食事をする機会があったのですが
彼女が言うに、中国では古来からの漢字表記の「省略化」が著しく
今や日本人が使う漢字の方が画数も多いのだとか。
私が筆談で漢字を書いているのをみて「そんなに難しい字が書けるんですか?」と
カタコトの日本語で驚いていました。
自国文化の退化を憂いていた彼女の事を思い出してみても、安易な合理化を追求
するのはいかがなものか?と考えてしまいます。
「ヤマドリの嶋」とか「タツザキの﨑」とか、そういう言い回しも含めて「文化」
なのだと思うので、基本的にスレ主さんの提案には反対です。