今、国会で論議されています。
日本では死亡した子供の臓器移植が認められていないため他国に行って臓器を購入している状態です。
そのため、死亡した子供の臓器移植を承認しようという動きが生まれましたが問題があります。
●子供自身に臓器を提供するかどうか判断できる?
●臓器を提供する子供の親の心情問題。
未来のあるはずだった子供の死を認め受け入れることは、親として大変な苦痛を生じます。
脳死でなくとも、死んだのではないと思うものです。
そして死を受け入れたあと、(通常の死であったとしても)子供を死なせてしまったと親としての自分を責めるものです。
そこに臓器提供の話が合った場合の問題、どう受け止めるか?
本当は助かる命だったのに臓器移植のために、我が子の治療を見放された。と思ったり
生きてたかもしれないのに私が早まって臓器移植に了承したから…殺してしまった。と思ったり
子供の親が苦しむことになるとの考え方があります。
[スレ作成日時]2009-06-26 21:05:00
死亡した子供の臓器移植を認めていいのかな?
2:
匿名さん
[2009-06-26 21:57:00]
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3:
匿名さん
[2009-06-27 00:48:00]
言いたいことは沢山あるのに重すぎて表現できません
皆さんのお考えを知りたいです |
4:
匿名さん
[2009-06-27 01:59:00]
自分の子供が移植を受けなければならない立場になったら親としてどうするべきか?
まず、そこから始めないとな。 |
5:
匿名さん
[2009-06-27 12:51:00]
脳死の判定により死んでいる覚醒の望みはもうないと言われてしまった親
そのような状況で永遠に目を覚ますことのない子供を見続けることもつらい 機械につながれて生き続ける事で子供の尊厳は保たれるのかも自問自答することになる 死を受け入れれば他に助かる命があるとみる世間の目も刺すようでつらいだろう 子供の脳死を受け入れるようなコンセンサスを作る事が唯一の救いでは |
6:
匿名さん
[2009-06-27 13:43:00]
それより大人の場合、死亡した本人ではなく
遺族が勝手に提供を承諾できるようになったのが不満。 私は提供したくないが、仲の悪い遺族が勝手に提供可能。 |
7:
匿名さん
[2009-06-27 16:16:00]
新しい社会保険証の裏に 臓器提供するかしないか選択欄がありますが、3の 私は臓器を提供をしませんに○をつければ、それが意思表示になるのでは?
「私はしません」っちゅうもんを 仲の悪い親族が勝手に提供はしないでしょう。 私は臓器をくれてやるのは構いませんが、自分の子供の臓器を提供するのは嫌です。 また自分も、取りあえず子供達も貰いません。 臓器移植が必要と生まれた(なった)我が身(我が子の身)を嘆きつつ、 移植以外の治療法に任せます。 |
8:
匿名さん
[2009-06-27 19:15:00]
昔、ヤフオクで高速の回数券を買ってくれたお母さんとメールのやりとりで取引と関係のない話をして思った事
そのお母さんのお子さんは脳死状態で、毎日会いに行くために回数券を探していたそうです。朝六時に家を出ると言っていたのでかなりの距離を毎日通っていたのでしょう。 助かる望みがなくても、病院から夜中に緊急の電話がかかってきても、他の家族が犠牲になっても、小さな体で頑張っているから毎日通って励ましたいとも言っていました。 私には思い及ばない境遇でしたが、その子の臓器が選ばれたら?と考えるとあのお母さんが首を縦に振るわけがないと思います。 移植を海外に依存している以上、国内での移植を許可する事は急務かもしれませんが、いろいろな立場の人が救われる制度となることを祈りたいです。 |
9:
匿名さん
[2009-06-27 20:08:00]
その方はもう子供にために十分尽くしたろ
だれかが背中を押してやれば又別の人生が開けるかもよ |
10:
匿名さん
[2009-06-27 20:53:00]
仮に
A君が 1ヶ月以内に臓器移植できたら 命が助かる可能性が40% B君が 一月後新治療法で 脳が動きだす可能性が0.001% どちらも自然に任せれば死ぬ。 |
11:
匿名さん
[2009-06-28 01:10:00]
数年前母が、くも膜下出血でたおれ脳死状態になりました
でも心臓は鼓動し体温もあり亡くなったという事を受け入れられず 延命治療をお願いしました その間母は体中にいろいろなチューブを括りつけられ いくら呼びかけたり体をさすっても何の反応もありませんでした 5日後に心停止、死を受け入れざるをえませんでした 今になって自分の自己満足のために 母につらい思いをさせただけではないかと後悔の念にさいなまされます でもまた同じ立場になった時に同じことをしてしまうのではないかと思うのです |
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12:
匿名さん
[2009-06-28 01:12:00]
人の命、特に子供の命は合理的に片付けられないから移植が今まで封印されてきたわけでしょ?
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13:
匿名さん
[2009-06-28 07:41:00]
いたずらな延命治療はたとえ自分の子供とはいえ尊厳を傷つける行為ではないでしょうか
自分の子供の生命の火を消すのはつらくても親としてできることは安らかな死を与えてあげることだと思う。 |
14:
匿名さん
[2009-06-28 07:52:00]
移植も絶対ではないし、延命治療に過ぎない。
本来ならば、流産していた子供ではないか? |
15:
匿名さん
[2009-06-28 08:21:00]
海外で臓器移植を受けようと海外に渡ってドナーを待っていた子供さんが亡くなった為
逆に健康な部分の臓器提供を打診されたそうですが 「この子はきれいな体のままで日本に連れて帰ってあげたいから」 と断った日本人ファミリーがいたそうです。 このような姿勢に対して皆さんはどう思いますか。 私はもし子供が脳死になった場合は(脳管が壊死した状態で機械がないと臓器が動かない場合)子供の臓器によって生きることができる人がいるなら差し上げたいと思います。 今回の法改正案も脳死の方に臓器提供を強要するわけではなく、本人か家族が拒めば提供はできません。 でも提供したい意志があればできるようになったという意味が大きいと思います。 それに現実的な金銭面の話としても海外で移植手術を受ければ平均8000万円かかり、最近の例では渡航が長くなると3億を越える請求があったそうです。 それが国内だと保険が利用できて150万程ですむようですし、WHOの指針でも海外からの移植希望者を制限するようにとあったので 日本も自国の患者は自国でケアするべきでしょう。 |
16:
匿名さん
[2009-06-28 12:29:00]
日本で移植論議されるのは
金にもの言わせると海外で移植拒否され日本が批判されるようになったから 借り腹など不妊治療も同じだ |
17:
匿名さん
[2009-06-28 13:23:00]
私だったら迷わず「提供しない」にまるつけておしまいです。
海外で臓器移植を受けて生還した子を持つ母親たちのブログを見ると、 移植してくれたドナーの方への感謝なんて、ほとんどでてきやしない。 あげるだけ無駄、って思います。 感謝もできない他人の子供を助けないといけないと思うほど、私は善人ではないので。 |
18:
匿名さん
[2009-06-28 13:28:00]
>17
15ですが、たぶん、同じファミリーの記事を見たのかなと思います。 そのファミリーは、自分の子が日本で助からないこと、海外までいかないといけないことなどを ひどく嘆いて、日本で臓器移植ができるようになるべき、とブログで書いていました。 脳死で死んだお子さん、そのご家族に対する配慮よりも、自分たちの権利意識のほうが高く 見ていて大変不快でした。 臓器を与える側の痛みや悲しみや愛情をそのままきちんと受け止めきれる人は案外少ないのでは ないでしょうか?それでも、無償の愛のように与えたいと思うご家族は、与えてあげればよいと 思いますが、私としては、そんなに心が広くないのでとんでもない、と思います。 |
19:
匿名さん
[2009-06-28 14:17:00]
私も子供の脳死移植には抵抗があります.
自分の子供の体に傷をつけられるのは嫌です. ドナーがいい人だったらあげてもいいかと思いますが ドナーを選ぶことはできないんですよね. みなさんは7つの贈り物見ました? 自殺には反対ですが, 臓器をあげる人は選びたいです. |
20:
匿名さん
[2009-06-28 14:23:00]
ついでに.
移植にかかる費用があれば, 発展途上国で餓死もしくは病死する子供がたくさん救えると思ってしまうのです. 移植をうけなければならない子供の命の優先順位が高いとはとても思いません. なので,どちらかといえば反対なのですが 将来的には臓器の作成が可能になるかもしれないですし. 医療の進歩ということから考えると賛成です. |
21:
匿名さん
[2009-06-28 15:10:00]
現場の医師に話を聞くと、やっぱりみすみす助かる命が失われている、という感じらしく、
早急に日本でも臓器移植が可能になってほしいと思っている人が多いようです(外科は) でも臓器を与える側の遺族にもそれなりの感情があるわけですから 脳死は死だから、早く臓器渡せ!みたいな空気ができあがるのは抵抗ありますね |
脳死判定によりまだ動いている心臓を止めるために生命維持装置を外す作業を
年に何度も行うことになる。
そう考えれば臓器移植のために担当医が歪めた脳死判定を行うとは思えない
ここは医者の脳死判定を信じて静かに子供の死を受け入れるべきでは